歴史を振り返ること。それも、当事者の話を中心に、何が起こったのかをプレーンに記録した歴史を。それがとても大切なことだと、あらためて思う。
沖縄の「市民」たちを殺したのは、いったい誰だったのだろう?
沖縄を戦場にしたのは、沖縄とは関係のない地方に住む日本人とアメリカ人ではなかったのか?
戦争の前には、必ずプロパガンダがある。
為政者が描く「敵」の姿を国民に刷り込み、戦いに敗れても「生きて虜囚の辱めを受けず」と、自殺を強いる。
そして、勝っても負けても、無垢の市民(兵士として刈り出されるのも市民だ)を犠牲にして、為政者だけが生き残り、次の戦争の準備を始める。
為政者の言葉を鵜呑みにしてはいけないことを散々学ばされてきたのではなかったか?
今はインターネットがある。
為政者によって「敵」のレッテルを貼られた国の「市民」とも交流する方法がある。
検閲によって、インターネットの恩恵を受けられない国があるのなら、市民の総力をあげて、コミュニケーションできるようにハッキングしなければならない。
自らを民主的な政体だというのなら、サイバー攻撃されたらくず鉄にしかならない兵器などに金をかけるより、民主化を求める市民の味方をするために総力をあげなければならないのではないのか?
紛争の根源はコミュニケーション不足にある。
相手を知ろうともせず、相手と意思疎通を図ろうともせず、曖昧な情報を鵜呑みにして「◯◯な奴だ」と決めつけて、勝手に憎悪を膨らませる。
欧米の人間たちは、ほんとうに鬼畜だっただろうか。鬼畜だったのは、むしろ、暗い洞窟の中で沖縄の市民を盾にして、泣き声をあげる赤子を殺した日本軍の兵士ではなかったのか。そんな兵士も「英霊」として、靖国に祀っていいのか?
戦争には英雄もいなければ英霊なんてものもない。
あるのは、戦争に刈り立てた愚かな為政者と、その為政者に犠牲にされた哀れな魂だけだ。
私たちは、何度も何度もこの番組を見て、70年前に何が起こったのかを考え続けていったほうがいい。
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