80年代の終盤、一冊の本を造った。オートバイツーリングの世界の魅力を語りつつ、日本のフィールドでキャンプして自然と親しむ方法論をまとめたものだった。
当時としてはまだ珍しかったフルDTPで制作したもので、デザイナーは日本で初めて本格的にエディトリアルデザインにDTPを取り入れた戸田ツトムさんだった。
普通、書籍は文章や写真、図版などの材料を揃えてデザイナーに渡し、デザイナーはその素材をレイアウトして本の形にする。ところが、このときは、材料がある程度揃ったところで、戸田さんがイメージデザインをして、さらに足りない材料が戸田さんのほうから指定されて、それを補足し、最終的なデザインまで練り直していくというスタイルだった。
文章と写真、図版といった必要な素材を渡したら、ライターであるぼくの仕事は終わるのが通常だが、このときは、それからが長かった。
戸田さんは、モーターサイクルやアウトドアのイメージを色濃くして、単なる実用書には終わらせずに、ワイルドな旅心を刺激するビジュアルを標榜した。そのために必要な図版などを具体的に要望してきた。そこで、モーターサイクルの変遷の歴史が感じられたり、アメリカンアウトドアのテイストが漂う写真や図版を求めて、編集とぼくは手分けをして、国会図書館や専門図書館に通い、戸田さんの要望に合いそうな素材を集めた。
そんな後から集めた素材を入れ込んでいくわけだが、従来のアナログな書籍のレイアウトと違って、DTPでは自在に素材を入れ替えたりサイズを変えたりすることが可能だから、様々に試行錯誤して、多彩なデザインサンプルが出揃った。
このとき、DTPがその後のエディトリアルデザインの主流になることを確信すると同時に、DTPにいち早く着目して、一気にシフトした戸田さんの先見性に脱帽した。そして、何より、デザインそのものが意味をしっかりと持って、自分が文章と写真で表現しようとしたことを超えたイメージを伝えていること、そんなデザインが出来る人がいることに感動した。
「あのときは、デザイナーがいちばん偉くて、ぼくたちは使い走りみたいだったね」
と、後に編集氏と笑ったけれど、それはとても刺激的でいい体験だった。
あのとき、すでにエディトリアルデザインの世界で大御所的な存在になっていた戸田ツトムさんがデザイナーの研鑽を積んだのが、松岡正剛氏がはじめた工作舎で、桑沢デザインスクールの学生だった戸田さんが工作舎の一員となる話が本書の前半に登場する。
松岡正剛氏が立ち上げた工作舎は、斬新なデザインとテーマの切り口の雑誌『遊』をコアにして、70年代後半から80年代の出版界、デザイン界に嵐を巻き起こした。ぼくは、工作舎の全盛時代にはまだ田舎の高校生で、工作舎も『遊』もまったく知らなかった。80年代に入って、大学でポストモダンの洗礼を受けて、書店で『遊』を手にとるようになったときは、松岡正剛氏が工作舎を離れ、『遊』も盛時の力を失っていた頃だが、それでも縦横無尽に文系理系、アートからサブカル、オカルトまで守備範囲とするその内容と、さらにそれを強力に補強する独創的なデザインが眩しかった。
この本は、工作舎の創立の経緯から、そこに集い、後にそれぞれの分野で大成していくクリエイターたちが、丹念なインタビューを元に描かれている。
今にすればキラ星のようなクリエイターたちが、松岡氏や工作舎の経営陣に見出され、そこでの戦場のような日常をくぐり抜けていった様子は、時代を作り出していくバイタリティーに溢れ、心から羨ましく思う。
松岡氏は、今では編集工学研究所を率い、日本という国の深層に息づく歴史と文化を探求し、それを活かし、変形させて新しい日本を形作る方法論を確立しようと精力的に活動しているが、それは、70年代の工作舎の立ち上げから連綿と続いているものなのだとわかる。
自分は、工作舎の時代には乗り遅れたけれど、「方法日本」の探求は、同じ時代精神の土俵で乗っていきたい。
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