真に根源的な問題は、淡々と語られなければならない。抑制された言葉遣いで淡々と語られるからこそ、心の奥の奥まで染みこんでくる。
『日の名残り』の執事も、淡々としているからこそ、その思いの深さに震えるほど共感できた。
カズオ・イシグロは大好きな作家なのに、どうして刊行されてから10年も経つまで、この作品を知らずに来てしまったのかと悔やまれる。そして、自分がこの10年の間行ってきたことや思索してきたことが、この作品を知らなかったがために、コアの部分で隙ができていたようにも思われてしまう。
感情が動かされることが「感動的」なら、この作品は「心動的」だ。心が動かされるということは、快か不快かとか可哀想とかやるせないとか、感情にまつわることをすべて超えている。だけど、涙が止まらない。
映画にもなり、DVDも出でいるけれど、これは先入観なしに、紹介文も読まずにいきなり読みはじめたほうがいい。
今、誰もが声高に自己主張し、それぞれの正義を説いたり、行動を促そうとするけれど、物事が重要であれば重要であるほど、感情を抑え、自らを客観的に観て、そして言葉を選んで淡々と語らなければならないということを思い出したほうがいい。
右だか左だか、原発推進だか反原発だか、誰が悪いだか誰が悪くないだか、そんなことを騒ぎ立てる前に、この本を読んで根源的なことを考えたほうがいい。そして、落ち着いて、世界を見回し、そこから冷静に抑制的に語り合うべきだ。
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