ぼくが生まれ育った町は茨城県の太平洋沿岸部の何もない農村だった。
近くに鹿島神宮という大きな神社があり、昔からずっと守られてきたここの鎮守の森の静けさが好きで、子供の頃からよく訪ねたものだった。
鹿島神宮には要石と呼ばれる石があり、これが地下に眠る大鯰の頭を押さえているという言い伝えがある。大鯰は地震を起こす魔物なのだが、これの頭を鹿島神宮の要石が押さえ、尾のほうを利根川を挟んで千葉県川にある香取神宮の要石が押さえているとされる(鹿島神宮と香取神宮の要石は巨大な一枚岩の端と端という異説もある)。
鹿島神宮奥宮のご神体とされる要石は、見えている部分は直径30~40cmの凹型の石だが、江戸時代初期に水戸光圀が人足を使って七日七晩掘り続けさせたが、ついにその底まで達しなかったといった話もある。
茨城県の太平洋沿岸は昔から地震の多いところで、それでも壊滅的な地震に見舞われないのは、要石が大鯰を押さえているからだと、ぼくの親くらいまでの世代はみんな真顔で語ったものだった。幼い頃からそんな話を繰り返しされてきたものだから、自分でも地震に遭うと地下で暴れている大鯰の姿を思い描いてしまう。 鹿島神宮の大鳥居は3.11の第一波の地震でバッタリと倒れ、その映像を見たときには、ついに大鯰が要石を振るい落としたと連想した。
地下の大鯰が地震を起こすという民間信仰は鹿島だけに限ったものではなく、しばしば大地震に襲われていた東日本一体に広く流布していた。19世紀の半ばに江戸を襲った安政地震の際は、地震を引き起こす大鯰に因んだ「鯰絵」が大量に刷られて江戸市中にばら撒かれた。
今、大飯原発の再稼働を巡って、敷地の内部に断層が横切っているとかいないとか喧しいが、国会でのそのやりとりを見ていると、地震という現象を地下に眠る大鯰としてイメージし、常にそれを意識して生きていた昔の人たちの想像力に比べて、現代人の想像力の貧困さに涙が出てきてしまう。
3.11を契機に、日本列島全体の大きさを越える大鯰が目を覚ましたようなものなのに、そのヒゲの一本が原発の直下にあるかないかで議論しているようなものだ。 気象庁長官も、今の日本に安全なところなどどこにもないと明言しているのに、鯰の背中iで油がいっぱいに入った鍋を火にかけるようなことを始めてしまう。
福島では、原発が爆発したときにたまたま西風が吹いて、死の灰のほとんどは海へ飛ばされた。それでも、後に風が回って広大な人の住めない土地ができてしまった。若狭で同じことがあれば、ほぼ定常的に吹いている西風が即時に致死的な死の灰を人口密集地に運んでしまうだろう。
今の日本は、理性的に考えれば即時に降伏しなければ壊滅してしまうとわかるはずなのに、「神国日本は負けない」と自分で自分を言いくるめて沖縄戦や原爆攻撃を招いてしまった太平洋戦争末期の日本にそっくりではないか。
でも、まだ理性を働かせて、自然エネルギーへの大転換を果たして、住みやすい国、幸福な国を作っていくチャンスは残されていると思う。 世界的にサステイナブルな社会のあり方が標榜されている中で、日本古来の自然信仰は様々な指針を含んでいる。 地震という現象を地下の大鯰の動きとしてとらえる想像力もそうだし、恵み深い自然の側面と祟りなす荒々しい自然の側面の両方を体現する神社の構造や、江戸時代に高度に完成されていたリサイクル社会など、振り返ってみれば、西洋合理主義の導入で断絶させてしまった素晴らしい叡智を見つけることができる。
大鯰の上に住んでいるという意識を持っていた昔の人達は、鯰が大暴れして生活を破壊されたときに、自分たちが住んでいる環境からこれは避けられないことなのだからと、気持ちを入れ替え、社会の構造やシステムを切り替えるいいチャンスとして、新しい街づくりに取り組んだ。
その意味では、3.11は、今までの自分たちの生活や社会システムを見直すいい機会のはずだ。これを活かして、サステイナブルのスタイルで世界をリードする国にならなければ、犠牲となった人たちの魂も報われない。
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3.11の直後から、自分たちは3.11後をどんな心構えで生きて行かなければならないのか考えながら、日本中の聖地を巡るフィールドワークで出会った様々な光景に新しい意味を見出し、それを『祈りの風景』というタイトルで連載してきた。
それがようやく一冊にまとまった。
これからまた、新たな祈りの風景と出会う旅を続けていこうと思う。
**『祈りの風景』Kindle版で発売されました**
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