一人の老人が大岩の前で正座し、ずっと祝詞を唱えながら、何度も何度も叩頭している。
真っ白い大岩と、その下に敷き詰められた白い玉砂利が夏の日差しを受けて眩しく輝き、まともに目を開けていられない。あたりの空気はオーブントースターの中にでもいるように焼きついている。
ぼくは、この聖地が持つ独特の存在感以上に、目の前の老人の一心不乱な様子に釘付けになっていた。
圧倒的な迫力で立ちはだかる大岩を前に、彼はいったい何を祈っているのだろう。
焦熱の空気の中、きれいに禿げ上がった頭を何度も何度も玉石に擦りつける老人。背中にはびっしょりと汗をかき、肌着が濡れた皮膚のように光っている。正座した足先の靴下が破れ、右足の親指が覗いている。周囲の視線などまったく意識になく、暑さや玉石の上に直に正座した足の痛みもまったく意に介してなさそうだ。この老人は、いったい何と向き合っているのか。
老人は直向きではあるが、必死だったり悲壮感があるわけではない。ただいつもの作法として、そこであたりまえの祈りを捧げているように見える。
こうした真摯で孤高な祈りを前にすると、心の奥のほうから「共感」というか「共鳴」というか、うまく表現できないが、じっと側に寄り添って同じ感覚を共有したいという気持ちが沸き上がってくる。
聖地にはそれぞれの個性がある。そして、その聖地で祈る人の作法や意識もその聖地の個性と同じ色合いを持っている。
祈りの風景ダイジェスト版の掲載は終了しました。続きは下記電子書籍版『祈りの風景』にて
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