**ご神木に相対して祝詞を唱える。その響きは熊野の濃密な森に浸透し、さらには大地を通じて全ての場所に伝わっていく**
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圧倒的に濃密で、しかも果てのない拡がりをもつ自然に囲繞されたとき、人はどんな意識を持つだろうか
自らの卑小さと無力を思い知り、ひたすら自然の前にひれ伏し、自然の濃密さに自らも溶かし込まれそうな不安に慄くだろうか
それとも、自らの卑小さを受け入れた上で、なおも圧倒的な自然に向かって自らの何かを訴えようとするだろうか
そんな疑問に一つの答えを与えてくれる祈りがある
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夕暮れが間近に迫る頃、熊野の果無し山脈の奥深くに位置する玉置神社の入り口にようやくたどり着いた。
里からつづら折れの狭い道を1時間あまり、途中には集落はおろか人家は一軒もなく、濃密なスープのような森の中を潜り泳ぎするように進んできた。こんな山奥に熊野でも有数の名社があるのだろうかと途中から心配になった。出発の時間が遅くなってしまったため、どんどん日差しが弱くなり、逆に森の密度がますます濃くなってくる中、すれ違う車も皆無で、日を改めて出直そうかと何度も考えた。
仏教が日本に渡来する前から、日本には独特の山岳信仰の体系があった。山野を何日も跋渉し、滝に打たれ、緩やかな尾根筋では風のように全速力で駆け抜ける。そして岩屋に篭もり何日も瞑想する。今でいう修験道だが、大昔は修験という名はなく、こうした山野を舞台に修行する者たちを優婆塞(うばそく)といった。
奈良時代に修験道の体系を築いた役行者も元々は役優婆塞と呼ばれ、さらに白山信仰を開いた泰澄や真言宗を開いた空海も優婆塞の系譜に連なっていた。玉置神社は、そうした優婆塞たちの修業の場であり、後に修験道最大の道場ともいえる大峯の奥駆が整備されてからは、奥駆終盤の重要なポイントとなった。
『レイラインハンター』の冒頭で、スポーツ登山から修験道に興味を持ち、それがレイラインハンティングという聖地巡りのフイールドワークに繋がっていったことを紹介したが、今でも、いつかは大峯の奥駆を奈良の吉野から熊野那智大社まで一気に果たしてみたいと思っている。その意味でも、玉置神社はどうしても訪ねてみたい場所だった。
祈りの風景ダイジェスト版の掲載は終了しました。続きは下記電子書籍版『祈りの風景』にて
**『祈りの風景』Kindle版で発売されました**
>双樹さん
コメントありがとうございます。
泰澄、行基、空海、円空…このあたりの人間に、いまはとても興味を持って調べております。
ときどき、レイラインハンティングのほうでツアーやトークライブも行っておりますので、ぜひ一度お運びください!
投稿情報: uchida | 2011/06/23 16:18
はじめてお便りいたします。
「泰澄」というキーワードでこちらに行き着きました。
いま、まさに、自分が思い描いていたこと、調べたいことと見事にぴたりと合っていてびっくりしました。
すべての事柄の偶然は必然。
いつも思い知らされます。
とてもありがたかったので、感謝の意を込めてコメントをさせていただきました。
ゆっくりとお話させていただけたなら、すばらしいだろうなぁと思いつつ・・・・。
投稿情報: 双樹 | 2011/06/20 22:10