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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.293
2024年9月5日号
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◆今回の内容
○翁と童の聖性
・天孫降臨はなぜ孫なのか
・神事での翁や童の役割と意味
・翁と童が表す循環
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翁と童の聖性
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先月12日、松岡正剛氏が亡くなりました。享年80歳、傘寿を迎えたばかりで、まだまだ精力的に彼独自の視点で歴史・文化・社会を見通していこうとされていた矢先のことで、非常に残念です。
思い返してみれば、工作舎の時代から『空海の夢』や『フラジャイル』をはじめとする多くの著作、そして、この聖地学講座を続けるにあたって大きな刺激をうけた『千夜千冊』など、常に大きな学びと示唆を与えてくれる存在であり、また目標とする人物でもありました。
心よりご冥福をお祈りします。
そして、志を継ぐなどというと僭越ですが、1850夜まで続いた千夜千冊に届くことも不可能でしょうが、彼の仕事を手本として、この聖地学講座を続けていきたいと思います。
松岡氏の訃報は、お盆明けに彼の公式サイトで知りましたが、ちょうどそのとき、この稿の参考にしようと読んでいた鎌田東二の『翁童論』で、日想観の話を読み進めていたところでした。
以前、この講座で彼岸の話をテーマにしたときにも、日想観に触れたことがありましたが、これは、阿弥陀如来の浄土に極楽往生するための13の観法を説いた「観無量寿経」の瞑想のひとつで、まだ釈迦が存命中の古代インドのマガダ国王頻婆娑羅(びんばしゃら・ビンビサーラ)の王妃、韋提希(いだいけ・ヴァイデーヒー)に、釈迦が直接告げるという体裁になっています。
「汝および衆生は、まさに、専心に、念を一処に繋けて、西方を想うべし。いかに、想いをなすや、およそ、想いをなすとは、一切衆生の、生盲にあらざるよりは有目の徒、みな、日没を見る。まさに、想念を起し、正坐し、西に向いて、諦らかに日を観ずべし。心を堅住し、想いを専らにして、移さざらしめ、日の没せんと欲して、その状、懸鼓のごとくなるを見よ。すでに日を見おわらば、目を閉じても開きても、みな、(日没のかたちを)明了ならしめよ。 これを〈日想〉となし、名づけて〈初観〉という」。
「正坐して西に向かい、はっきりと太陽を観て、西方浄土を想え。観想を集中して、沈みゆかんとする太陽を『天空の太鼓』の如く観ろ。太陽が沈んだ後、目を閉じても開けても、その残像がくっきりと残っているように。これが太陽の観想、日想観である」。そんな大意です。
日想観は、お彼岸の夕陽が真西に没するのを観ながら行うのが通例で、彼岸からやってきた先祖が、再び彼岸(西方浄土)へ帰っていくのを見送るという意味があります。松岡氏の訃報に接したときに、偶然、日想観についての記述を読んでいたことに加え、仕事部屋の窓の外を見ると、ちょうど西の空に傾く赤い太陽が見え、私は本を置いて、しばしその太陽を眺めたのでした。
『翁童論』は1988年刊行の作品ですが、これを今になって読み返していたのは、以前から抱いていた問題意識への具体的な回答が探し出したいからでした。その問題意識というのは、現代社会が表層的で、人生の意味や社会のあり方といったことを深く考えなくなってしまったのは、人が、歴史や土地の記憶といったものから切り離されてしまったせいではないかということです。
とくに、翁と童という、現代社会では端に追いやられ、社会に「余計な負担」をかける邪魔者とも考えられてしまう存在が、じつはとても重要だと思ったからでした。かつての大家族が社会の基本単位だった時代と、家族制そのものが希薄になってしまった現代とでは、神話というものについての捉え方も大きく違います。神話の語り部や担い手として翁や童が数多く登場しますが、その意味すら現代人は理解できなくなっています。その点を見直したいという思いもありました。
柳田國男は、『先祖の話』の中で「祖父が孫に生まれて来るということが通則であった時代が長く続いた」と述べ、家の主人の通称を一代おきに同じにする風習があって、古代・中世の藤原氏や神社の社家の系譜で、名前の一字が一代おきに繰り返されるのは、その考えを反映したものだったと記しています。
これは、仏教にいう「輪廻転生」とは違って、氏族の魂が連続再生しているという日本独特の思想でした。氏族は、血と地を受け継ぐだけでなく霊(ち)も受け継ぐという思想です。子供が「七歳までは神の内」と呼ばれ、還暦を過ぎればこれもまた神=冥土に近いと考えられ、日常の雑事から切り離された祖父母と孫が一緒にいる環境で祖父母から孫へと「知」も受け継がれる。そんなことを言っています。伝統芸能の世界での「襲名」という風習もそんな思想の名残です。
そんなことを考えつつ、松岡氏は子供を持たなかったので、血と地、霊は受け渡されなかったものの、後の世代へ膨大な「知」を託して逝ったんだなと、ふと、感じ入ったのでした。
●天孫降臨はなぜ孫なのか
柳田國男が「祖父が孫に生まれて来るということが通則であった」と指摘したように、とくに祖父(祖母)と孫との繋がりには特別なものがあります。その例は、日本神話の「天孫降臨」の場面にも見られます。
アマテラスは、オオクニヌシから譲り受けた葦原中津国を統治するために、スサノヲとのウケヒによって生まれたアメノオシホミミを高天原から派遣しようとします。ところが、アメノオシホミミは、「降りようと準備している間にホノニニギという子どもが生まれたので、この子を降臨させましょう」と答えて、自分の代わりに、生まれたばかりのわが子を真床覆衾にくるまらせて、高天原から、日向の高千穂のくしふる岳に降臨させます。これが天孫降臨の逸話です。
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