寝床に潜り込んでフッと吐いた息が白い今日のような夜は、子どもの頃に聴いた海鳴りを思い出す。
鹿島灘に打ち寄せる太平洋の荒波は、海から7kmも離れた家まで届き、それは、一度寄せる毎にじわりじわりと近づいてくるようだった。
幼いぼくは、海鳴りが聞こえると慌てて祖母の寝床に潜り込み、小柄な祖母の腕の中に仔猫のように縮こまり、耳を塞いで震えていた。
凍てつく冬の日の海鳴りは、海に散ったたくさんの魂が、海神の呪縛から一瞬逃れ、生まれ故郷の陸に戻ろうとしてもがき苦しむうめき声のように、ぼくには思えたのだ。
今、もういい歳になって布団の中で自分の白い息を見ると、やはり海鳴りが聴こえてくる。
さすがに、さいたまの自宅まで太平洋の海鳴りが届くはずはないのだが、耳を澄ませていると、はじめは微かだった波音が次第に重く長い響きとなって、体中の細胞を静かに揺すり始める。
だが、今はこの海鳴りを怖いとは思わない。
今はそれがとても懐かしく、そして安らかに感じられる。
実際の今の海岸線はすっかり痩せてしまい、長く尾を引くような寄せ波の音はない。海と実家を隔てる7kmの間には幹線道路がいくつか分断するように走り、たとえ波音が響いてきたとしてもひっきりなしに通過するクルマの音にかき消されてしまう。
本物の冬の海鳴りが消えてしまった今は、さいたまで聴く海鳴りのほうが本物といえるかもしれない。
白い息を見上げながら、耳に残るこの懐かしい海鳴りは、いったいどこから始まるのだろうと考えてみる。
太平洋の真ん中あたり、凪いだ海面を風が一吹きする。するとそこにさざ波が立ち、東西南北へ伝播を始める。その西に向かった波が、黒潮や親潮とぶつかったり、クジラやイルカの呼び交わす声をその波動の中に取り込んだり、さらには太平洋を渡っていく船のスクリュー音や、仕掛けた漁網を引き上げる漁師たちの勇ましい掛け声、その網の中で飛び跳ねる魚たちの水しぶきなどを溶けこませ、ついに砂浜に到達して、様々なものを溶かし込んだ波は砕け散り、波動に含まれていた様々な記憶は宙へと放散されていく。その中には、幼い頃のぼくが恐れていた亡霊の呻きも含まれているかもしれない。
中学に上がった頃から、ぼくは一人で海岸に出かけ、打ち寄せる波音に包まれているのが好きになった。
北の大洗から南の犬吠埼まで延々と砂浜が続く鹿島灘のその中間地点の海岸で、ぼくは一人寝転がって、飽きもせずにただ波音だけを聴いていた。今思えば、ぼくはあの波音の中に太平洋の彼方から波がやってくるまでの間に取り込んだ、自然や動物や人の営みの要素を感じて、彼方の世界に思いを馳せていたのかもしれない。
初めは単純な物事が、他の物事と干渉しあい、相互作用の波を拡げていくことで、すべての複雑な現象は生み出されていく。この複雑系を逆に辿って、ルーツに達することは、それがあまりに複雑すぎるために不可能であるとされる…西洋科学的な視点では。
だが、東洋では古来からそうした複雑に絡み合った事象も心の目を開いて見れば、澄んだそのルーツを見通せるとされてきた。
遥か彼方に発した音を観ることで世界を見渡す、それが観音であり、観音の力を心を開いて獲得することが念彼観音力と呼ばれた。花鳥風月の思想もやはり、複雑な自然の営みを心の目を通して観ることによって、シンプルなルーツにたどり着くというものだ。
凍てつく寒さの中、幻の海鳴りの波動に含まれる様々なものを想像しているうち、静かな眠りに落ちていった。
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