今から20年近く前、当時、SEGAのAM2研を率いていた鈴木裕氏と二人で、中国を旅した。
北京を皮切りに、洛陽、西安、河北省滄州と巡りながら、少林寺の高僧や八極拳の伝承者に取材し、その成果は、後に対戦型カンフーゲームの決定版とも言われた「バーチャファイター2」として実を結んだ。
人伝てに各地の拳法家を訪ねるこの旅には、Cさんという少女のような可愛らしい20代のスルーガイドが一緒だった。
地味なメガネを掛け、いかにも真面目な勉強家といった雰囲気で、とても控えめな物腰の彼女は、じつはその容貌や物腰からはとても想像できないくらい精神的にタフで、少林寺でいちばんの強い坊さんに教えを請いたいとか八極拳の正統な伝承者と会って日本に連れていきたいといった、こちらの無理難題を次々と実現していってくれた。
一仕事終えた夕食の席では、日本語の微妙な表現やら日本の文化や歴史について質問してくる。ぼくも勉強不足で知らないようなことを彼女は知っていて、逆に日本文化についてレクチャーされているように感じることもしばしばで、どうしてそんなに熱烈に日本について関心があるのか疑問なほどだった。
ある晩、鈴木氏が旅の整理をしたいので先に部屋に戻るといって席を外し、二人になったとき、Cさんにとても流暢な日本語が話せる理由や日本についてどうしてそんなに関心があるのか質問してみた。
すると彼女は、
「じつは、私の祖父は日本軍の協力者だったんです…」
と、自分の生い立ちから話し始めた。
大連生まれの彼女の実家は、昔から大きな縫製工場を営む裕福な家だった。彼女のおじいさんは日本への留学経験もある親日家で、中日戦争では日本軍の衣料品を現地で生産するようになった。
軍閥が割拠し、国民党と共産党が入り乱れて無政府状態と化している中国大陸の中にあって、彼女のおじいさんは日本の汎アジア主義がアジアに平和をもたらすと信じ、積極的に日本に協力する姿勢をとった。もともとコスモポリタニズムの色が濃い大連という街の環境が、土着的なナショナリズムを敬遠する気風を生み出していたこともあるだろう。
彼女のおじいさんの精神はその息子にも受け継がれ、侵略軍への反感と日本軍将校たちの理想主義に対する共感が微妙に入り交じっていたという。
日本が敗戦し、中国共産党が大陸を支配すると、彼女の一家は真っ先に反革命分子として槍玉にあげられ、迫害を受けることとなった。
文革が始まると彼女の父親は辺境に下放され、長く大連に戻ることができなかった。
文革が下火になる頃、ようやく大連へと帰ることがかない、そこで教職に就いた。同時に同じような境遇にあった女性と知り合い、Cさんがこの世に生まれることとなった。
Cさんの心の中には、おじいさんやお父さんから聞かされる自由な気風に満ちた昔の大連の街のイメージや、かつての中国の知識人たちが薫陶を受けた日本の理想主義、そしてそれを生み出した日本という国への憧れが広がっていった。
Cさんはその後、いつか日本へ行くことを思い描き、河北省にある大学の日本語科に入学する。そして、この大学で学んでいるときに、天安門事件を経験することになる。
中国全土で民主化への希望が沸騰し、同じ想いを持った仲間たちが無料解放された鉄道に乗り込んで、北京の天安門へとたどり着いた。その中にCさんもいた。
彼女はまさにあの日、天安門の人波の中にいた。
「これで、中国は絶対に自由な国になる。明日にでも中国は解放されて、私は大好きな日本という国に渡って、好きなだけ日本文化を勉強できると思いました…………でも、そこは、地獄になってしまいました」
大虐殺の混乱の中で、彼女はなんとか現場を脱出し、かろうじて大学まで戻ることができた。だが、一緒に天安門に向かった仲間たちの多くが帰らなかったという。そこまで話すと、彼女は嗚咽が止まらなくなってしまった。
天安門では、海外メディアもその惨状を取材してはいたが、あの決定的な弾圧の現場を正確に報道したメディアはなかった。また、各国政府は中国政府を非難し制裁を行ったが、それは形ばかりのものでしかなかった。非情なパワーポリティクスの中では、Cさんのような当たり前に自由や人権を求める人達がいとも簡単に抹殺されてしまう。
エジプトで起こっているムバラク政権退陣要求の巨大なうねりを見ていると、ぼくは、いつまでも嗚咽が止まらなかったCさんを思い出してしまう。
エジプトのムバラク政権は、アメリカの走狗として、長い間アメリカのダーティな部分を請け負ってきた。だから、いざとなったらアメリカを脅して協力させ、政権を維持しようとするかもしれない。あるいはアメリカに見捨てられて、逆に自暴自棄になり、また天安門のような悲劇が起きてしまうのではないかと心配でたまらない。
ソーシャルメディアという新しい力が、世界中の世論を結集して、天安門事件のようなことを防ぎうる可能性を秘めていると信じたい。そして、エジプトがそれを見せつける最初の成果となるように、自分もソーシャルメディアを使って、成り行きを注視し、民主化運動の分子たちにエールを送っていきたい。
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