不老不死ツアーやお水送りのイベントでお世話になっている若狭の宿PAMCOの田辺さんから、 青梅がどっさり届いた。
皮がはち切れそうにプックリと膨らんで、梅雨時のしっとりとして涼しい大気のエキスを閉じこめた梅の実を手にとって、 その清涼な香りを嗅ぐと、梅雨という季節は、まさに梅のためにあるのだなと、あらためて日本人の語感の奥深さに唸らされる。
そして、同時に、幼い頃の記憶が呼び覚まされる。
祖母と一緒に庭にあった梅の木の周りにビニールシートを敷き詰めて、竹の物干し竿で枝を叩く。すると、 ボトボトと瑞々しい梅の実が落ちてくる。
そのままシートごと庭の平らなところに運び、一升枡で収穫を量る。
「今年は、たくさん採れたねぇ、10升もあったよ……何にしようかねぇ」
と、皺くちゃの顔をもっと皺くちゃにして喜びながら、早くも割烹着の袖をまくり上げて作業に取りかかろうとする祖母のせっかちが、
幼いながらも微笑ましかった。
「ホワイトリカー1升と氷砂糖と、それから塩を2キロ買ってきておくれ」
と、千円札を手渡され、近所の雑貨屋……といっても、古い民家の土間の一部にわずかな商品が並べられているだけだが……
へ走って戻ってくると、もう祖母は梅酒と梅干し用に収穫した青梅を選別し終えていた。
小学校の高学年になるまで虚弱だったぼくは、強壮剤として、よく祖母の作った梅酒を飲まされた。 減塩なんていう意識なしに作られた梅干しは、そのまま食べると口が曲がるほど塩辛かったが、チビチビと囓りながらだと白米がとても美味しく、 たくさん食べられた。山登りを始めた高校の頃は、山行のときには早出のぼくより必ず先に起きて、 「酸っぱい梅干しを食べると霧が晴れるんだよ」といって、でっかい梅干し入りのおにぎりを用意してくれた。
先天的に嗅覚が利かなかった祖母は、料理全般、大味だった。今では、 祖母よりも確実に素材の風味を生かした繊細な味付けができるけれど、あの脳天に突き抜けるような塩辛さの梅干しが時々食べたくなる。 田辺さんからいただいた梅の一部は、大量の塩で漬けて、懐かしい祖母の味を再現してみようか……。
しかし、梅という食材はすごいと思う。
その実にたっぷり染みこんだ梅雨のエキスは、砂糖や塩、焼酎で取り出せば、シロップや梅酢、梅酒となる。そして果肉のほうは、 梅干しになり、ジャムになり、コリコリとした食感で爽やかな味の酒漬けとなる。
まったく無駄がなく、加工の手間もかからない。
「大人になって、自分の家を建てたら、真っ先に梅の木を植えるんだよ」
収穫した梅の実の選別を終えた祖母は、毎年、同じことを言っていた……。
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