都内のとある公園の片隅で、つつましやかなキャンドルナイトが催されていた。
いずれ消え去る灯火は、パーマネントに輝く電気の光と違って、どこか儚く、人のリズムに近くて、 思わずその揺らぎに吸い込まれてしまう。
今では少なくなってしまったが、日本では夏の精霊流しや小正月の宮参りなどで、こうした灯火が人々の心を和ませてきた。
今年は、社会が大きな変革期を向かえ、来年はさらに激動が予想されている。
ぼく自身も個人的に大きな変革期を向かえ、今年の後半は、自分のあるべき道を必死で模索して、新たな仲間を得て、 なんとか社会の変革に合わせた体制を整えられそうな道が見えてきた。
いうなれば、「自分」という一個人は、小さな灯火に過ぎない。けれど、その灯火もこんなふうに集まれば、それは人の心を和ませる 「明かり」となりうる。
電球は、大元の電気の供給が断たれてしまえば、全てが一斉に消えてしまう。でも、灯火は、たとえの一つが消えたとしても、 他の灯火は生き残り、また新たな灯火を点すこともできる。
社会も、大きなシステムは安定のように見えながら、じつはとても脆弱なものであり、 人の心に訴える何事かをたいして残さず消え去ってしまうということが、システムの瓦解によって証明された。
新しいシステムは、人の人らしい心が生み出すもので、そこから生み出されたものが、他の人の心に灯火を点して、 さらに広げて行くものになるべきだろう。
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