先日の「東京シティライド」 で 立ち寄った佃島の箸屋さんで、みつけた箸袋。
以前、雑誌の付録についていた箸袋と箸のセットを使っていたのだけれど、どうも、今ひとつ貧弱で気に入らなかった。
これは、風神雷神図をモチーフにしたもので、一目で気に入った。
今後は、こいつに、東北の居酒屋でもらったネマガリ竹の箸を入れて、持ち歩くことにしよう。
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先日の「東京シティライド」 で 立ち寄った佃島の箸屋さんで、みつけた箸袋。
以前、雑誌の付録についていた箸袋と箸のセットを使っていたのだけれど、どうも、今ひとつ貧弱で気に入らなかった。
これは、風神雷神図をモチーフにしたもので、一目で気に入った。
今後は、こいつに、東北の居酒屋でもらったネマガリ竹の箸を入れて、持ち歩くことにしよう。
2008/09/30 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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昨日は、一日、サイクリストの丹羽隆志さんが主催する 「やまみちアドベンチャー」のツアー、「東京シティライド」に参加した。
自転車とヘルメットはレンタルで、集合場所までは身一つで行けばいい。
日頃、東京都心の雑踏を自転車で駆け抜けるなんて、メッセンジャーでもなければ経験しないが、 皇居の北に位置する北の丸公園を出発して、お堀端から、国会議事堂、大手町のオフィス街は、日曜とあって閑散としていて、不思議な感じだ。
またこの日は、皇居前の大通りが自転車に開放されていて、片側4車線の道を悠々と走ることができる。 車で通り慣れた道を堂々と自転車で走ると、ここが東京の都心であることが俄に信じられなくなる。
丹羽さんは、もともと「やまみちアドベンチャー」ともあるように、アウトドアアドベンチャー系のアクティビティが得意で、 自転車もMTBによるシングルトラックの走破やら、海外のオフロードをメインにしたツアーなどを行ってきた。ところが、 こうした街中や都市の近郊を自転車で巡るうちに、車や徒歩の移動ではなかなか見られない、「線」 で身近な場所を体感していくことの面白さに目覚めて、それを積極的にツアーに取り込むようになった。
今回のツアーは、各所に残る明治建築やら、将門の首塚やら、築地市場、佃島などヘリテージツアーの要素を盛り込み、それらを繋いで、 丹羽さんがちょっとたどたどしくもありながらそれがまた手作りっぽくて親しめるような解説を聴きながら巡っていく。
9時から15時まで、のんびりとサイクリングを楽しみながら、24kmあまり。振り返ってみると、物件もたくさん回ったし、 築地では寿司のランチを堪能し、佃島では名物の佃煮やら駄菓子を買い込んで、まさに「満腹」になるまで一日が楽しめた。
この同じコースを車で巡ろうと思っても、駐車スペースを探すので一日が終わってしまうだろうし、 電車と徒歩ではとても回りきれないだろう。
ぼくは、毎年、若狭で不老不死伝説を巡るツアーを行っているが、 前々から、それを自転車を足として行ってみたいと思っている。今回、東京シティライドに参加して、次回の不老不死ツアーは、 ぜひともサイクリングで巡るべく、計画することにした。
2008/09/29 カテゴリー: 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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夏の終わりはもの悲しいものだけれど、今年はとくに寂しくて切ない夏の終わりとなった。
ぼくにとってそこは魂の安らげる場所だった。たとえ、そこに行かなくても、そこを思い浮かべるだけで心が落ち着く場所……それが、 四国の『野遊び屋』だった。
2001年の夏、 OBTメーリングリストを通じて知り合ったニュージーランドのシーカヤックガイドRyu.Takahashiさんの誘いを受けて、 岡山の牛窓で行われたシーカヤックミーティングに参加した。
それまで、マリンスポーツとはまったく縁遠かったのだが、広い海原を自由に渡っていけるシーカヤックの魅力と、 カラッと明るいシーカヤッカーたちのキャラクターにたちまち引き込まれてしまった。そして、 そのイベントの主催者だった野遊び屋と付き合いがはじまった。
四国香川のベッセルおおちをベースとする野遊び屋は、どっしりとしたログハウスを中心に、それを取り巻く広々としたウッドテラスが、 岬の突端にあって、のどかな瀬戸内の海を一望できる、とてもここが日本だとは思えない素晴らしい環境にあった。
調度のほとんどは間伐材や流木を使った手作りで、ベースの中や外には、各地の遠征ツアーで集められてきた貝殻や漂流物が、 さりげなく置かれていた。
そこにいると、木の温もりにうっとりとして、さらには、瀬戸内の潮風が運んでくる南国の匂いに、 遠い奄美や沖縄の島々の風景が浮かび上がってくるようだった。
ベースから見下ろせる山田海岸から瀬戸内にエントリーすると、広大な鏡のような海面を自在に漕いでいくことができる。 沖に見える島まで渡り、無人の浜に上陸して、そこでティータイムやディナーを楽しんだ。
冬には、OBTとジョイントでGPSイベントを開催したり野遊び屋の面々に八ヶ岳まで出張してもらって、 スノーシューイベントを開催したりもした。
野遊び屋やそのイベントではたくさんの友人ができた。
その思い出深い野遊び屋のベースが閉鎖になると聞かされたのは、ゴールデンウィーク明けの頃だったろうか……。
野遊び屋を運営するG-Outfitterの吉川氏に、今年のイベントやらWEB仕事やらのことで電話をしたときに、 突然の閉鎖を聞かされた。
もともとここは、東かがわ市の第三セクターが運営する施設で、そこを借り受けていたのだが、第三セクターが経営に行き詰まり、 その経営権を買った民間業者から立ち退きを要求されたのだという。
その後、交渉を重ねたがうまくいかず、同じ四国の中で別の場所を探したが、なかなか条件に合うところが見つからず、 この9月末をもって閉鎖が決まってしまった。
この野遊び屋のファイナルイベントが、先週末行われた。
お世話になった山田海岸でビーチコーミングクリーンアップを行い、その後、ハッピーアワー。そして、翌日はファイナルツアー。 さらに、その翌日は最後までの居残り組でさぬきうどん巡りツアーを行った。
ぼくは、オートバイでこのイベントに向かったが、懐かしいみんなと、そして、 思い出がたくさん詰まった野遊び屋ベースを後にして走りながら、今度は、自分がどこかに、野遊び屋の雰囲気を再現した場所を作って、 仲間たちにいつでも集まってもらえるようにしたいと、切実に思った。
2008/09/27 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 06.ツーリズム, 11.人 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
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先日、映画を観た"into the Wild"の原作『荒野へ』(ジョン・クラカワー著 集英社文庫)を読んでいる。
美しくて、悲しい映像の記憶を呼び覚まされながら、映画では伝えきれなかった細部の物語に、引き込まれている。
23歳の主人公クリスと出会った80歳のロンは、映画では出会いと別れの場面しか登場していないが、後にクリスから 「この世は驚きに満ちています……外へ出て、自然の造形と接し、人と出会わなくてはいけません」と手紙を受け取り、 その孫のような青年のアドバイスを真剣に受け取って、自らも荒野の住人となる。
かつて、クリスが寝起きしていた砂漠の片隅に小さなサイトを築き、そこで再会を約束したクリスを待ち続ける。
クリスとの交流の中で、ロンはクリスが家族との軋轢を抱えていることに気づいて、「いつか、許せる時が来る。そしたら、 神の祝福がもらえるよ。光が見えるんだ」と若者を励ます。
クリスが荒野に散ったと知ったとき、ロンは信仰を捨てる。
『私は祈ったんだ。アレックスの肩にかけた指を話さないでください、と神に願いごとをしたわけさ。あれはとくべつな若者だって、 神に言ったんだよ。だけど、神はアレックスを死なせてしまった。それで、なにが起こったか、私は12月26日に知り、神を捨てた……』
映画では、クリス(アレックスと名乗っていた)が亡くなる瞬間、雲間から光が射し込み、それが彼の顔を浮かび上がらせる。それまで、 苦悶していた彼の表情は、うっすらと笑みを浮かべる。
荒野へ向かった若者は、結局、自分の内側へその深奥へと旅を続けていたのだろう。そして、彼と関わった全ての人たちもまた、 彼の影響で、自分の深奥へと向かっていくことになったのだろう。
ぼくは、10代の終わり頃から、一人旅とソロの山行を始めた。
それまで、日記などまともにつけたことはなかったのだが、小さなフィールドノートを用意して、 そこに自分の気持ちを書き付けるようになった。若い頃のその日記は、今でも宝物としてとってある。
クリスが、野宿の夜に、左手に不器用な持ち方でペンを握って、アルファベットの大文字で、その時々の思いを綴っていく姿は、 そのまま、自分の若い頃のテントの中での姿だった。
彼が長じて、今のぼくくらいの歳になっていたら、いったいどんな生活を送っていただろう。
どんなに辛いことがあっても、今、ぼくは「生」を与えられている。それを感謝して、ただ流されていくのではなく、時々、into the Insideの旅へ戻らなければいけないのだと思う。
2008/09/18 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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レイトショーで『into the Wild』を観る。
ウィルダネス(荒野)に憧れ、文明社会に背を向けて、コロラド川を下り、砂漠で暮らし、そしてアラスカへ……。
ぼくがライフスタイルのモデルにしたいと昔から思っているコリン・フレッチャーは、ウィルダネスへの憧憬を持ち、 そこに単身踏み込んでいくけれど、都会や文明生活を否定するわけではない。
また、ウィルダネスの湖畔での孤高の暮らしを実践し、それを『ウォールデン』に著わしたソローも、 ウォールデン湖畔の暮らしを数年続けたにすぎない。
into the Wildの主人公クリス・マッカンドレスは、恵まれた家庭環境に育ち(といっても、それは表面的なことに過ぎず、 彼が荒野へ向かう動機の大きな部分を家庭環境が占めていたことが徐々にわかってくるのだが)、大学を優秀な成績で卒業しながら、 名前も含めて、それまでの自分の人生に付随していた全てを捨てて、放浪を始める。
この世は全て偽善に満ちている……そんな青臭い認識は、どんな青年でも持つ。でも、徐々に世間との折り合いをつけて落ち着いていく。 彼の場合は、そんな想いが激しすぎ、ひたすら孤独へ、自然へと向かわせていく。
だが、人間社会を嫌悪して、それまでの自分を捨てた彼は、放浪のうちに様々な人との出会いを通して、 人はそれぞれ苦悩を抱えているが健気に生きていることを知る。そして、いつしか、青臭い青年だった彼は、 人に生きる勇気を与えられる人間に成長している。
アラスカという「正真正銘の大自然」は、彼が再び人間社会に戻ってくるための、大きなターニングポイントになるはずだった……。
これは、実話を元にした話だ。
ついに、体は帰ってこれなかったクリスだが、彼は、自分の死期を悟って、出会った全ての人に対する感謝の言葉を記し、最後に、 自分の本来の名前を記す。彼の魂は、しっかりと彼を好きだった人たちの元に帰ってきたのだろう。
純真無垢な魂が損なわれてしまう切なさ、運命の残酷さ、自然の前での人間の無力……だけど、人間は本来素晴らしい、 生きるということは輝いていることだと思わせてくれる。
2008/09/16 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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昔から、四国の『遍路』という行為やそれを行う人たちに、なんともいえない違和感と、薄気味の悪さを感じていた。
今、空海というじつに面白いキャラクターの実像を思い描く作業を続けているのだが、空海は、後に自分を慕って…… というより縋ってといったほうがいいかもしれないが……四国を巡る遍路たちに、同情もしていなければ、 他力本願のその品性の低さをどこかで嗤っているのではないかという思いが、ますます強くなってきた。
そんな中、司馬遼太郎の『空海の風景』の中に、次のような一文を見つけた。
「日和佐に入ると、医王山薬師寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、 登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。齢の数だけおとすのだというが、異様な光景であった。 なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負い、どちらも石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が、 一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、 それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、 そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。 しかも空海歿後1200年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海のなにがそうさせるのかということになれば、 どうにも筆者が感じている空海像がこの浦の黄土色の砂の上から舞いあがり、乱気流のかなたで激しく変形してゆくような恐れをおさえきれない… …」
まったく同感だ。
『弧』としての完成をとことんまで問い詰め、人と交わらず、「救いは自らの内にある」とした空海が、どうして、 ただひたすら縋りつく怠惰な人間の同行者となるなどという発想ができるのだろう?
空海その人は、「お大師様」などと軽々しく自分が呼ばれたかったとは到底思えない。論を説き、その論を理解し、 自分なりの道を歩んで近づいてくる者ならば、よろこんで手を差し伸べるかもしれないが、「自分がなんとか救われたい」などという俗願は、 唾棄したに違いない。
そもそも、孤高の道を是とした空海が、「同行」などという卑屈な姿勢に加担するはずがない。
遍路は、空海が四国にしかけた壮大なフェイクだ。それを真に受ける哀れな者たちを空海はあざ笑いながら見下ろしている。
調べれば調べるほど、空海は高野山で入定したのではなく、四国の山深くに眠っているという気がしてくる。 自分が仕掛けたフェイクに群がる「亡者たち」を自分の眠りを妨げるものに対する結界として利用しながら……。
2008/09/15 カテゴリー: 06.ツーリズム, 11.人 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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今日から、天の配置が変わった。
乾いた涼しい大陸の高気圧が張り出してくると、何故か懐かしく、ホッとした気分になる。
母方の祖母は、そのルーツがあまりはっきりせず、昔、直接聴いた話では、 群馬の赤城山の中腹に江戸時代の後期に住み着いた漂泊民らしいのだが、鷲鼻で肌が白かった祖母の雰囲気は、 どうも大陸のスラブの血が混ざっているような感じだった。昔、シルクロードを旅したときは、 ぼく自身がウイグル族の人たちから同族だと思われ、いくら日本人だと主張しても、信じてもらえなかった。あまり定かではないけれど、 そんな血に刻まれた記憶とでもいったようなものが、この大陸からやってきた空気に郷愁を感じるのだろうか?
秋になると、俄然、頭のほうも冴えて、ようやく「動きだそう」という気になってくる。
それにしても、この夏の天候不順はどういうことだったのだろう。昔の人たちは、天変地異を単なる自然現象ではなく、「神の怒り」 ととらえた。今では、気象レーダーをはじめとする様々な観測機器やコンピュータ予測によって、気象変化をかなりとらえられるようになったが、 それでも、個別の現象は「想定外」のことばかりだ。
古代の人たちは、「王」という存在をそうした自然の象徴と考えていた。王は人の力の及ばない自然を支配する力を持つと信じられ、 だからこそ敬われていた。しかし、その王の管理する自然が人々に対して猛威を奮うと、それは、王の力が無くなったことの証明として、 王は殺され、次の王が立てられた。
政治を司るものは絶大な権力を持つと同時に、命をかけた義務を負わされていた。
政治というものは、命がけなものだと、そろそろ、どこぞの「政治屋」たちにもわからせてやったほうがいいのかもしれない……。
2008/09/09 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 11.近況 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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今週はずっと毎年定例のツーリングマップルの取材で、中部を巡っていた。
今年のテーマの一つに名水百選のネクストバージョンである平成の名水百選巡りがあるのだが、今回はその中のいくつかも訪ねてみた。
旅のスタートは中央高速の諏訪ICで下りて、諏訪大社前宮の湧水へ。
ここは名水百選には入っていないけれど、原始の森が残る守屋山からわき出る水は甘くてまろやかで、気に入っている水の一つだ。 神社の境内をぐるりと取り巻いて流れる小川がミネラルウォーターそのもので、傍らの御柱を見上げながら戴くと、 まさに天の恵みという気がする。
さらに、高遠、伊那、木曽と抜ける静かな山里の道を辿って、木曽川の源流「水木沢」へ。ここも、 白い砂地の上を目の覚めるような清流が滑り落ちていく。
今回の取材では、松本市内にもたくさん湧水があることを知った。
この町は、高校生の頃から何度も訪れているが、登山基地としてのイメージが強くて、 街自体の風情を楽しむといった旅をしたことがなくて気づかずにいた。
街のど真ん中に湧水の井戸があり、そこで通りかがりの人が喉を潤していく。また、自転車でやってきて、 ペットボトルに水を汲んでいる近所の店員風の女の子は、「この水で淹れたお茶や珈琲は、お客さんに喜んでいただけるんですよ」と、 にこやかに言う。
何も手を加えず、自然そのままの水が身近にあることの潤い……それは、昔の日本だったら、 どこでも当たり前のことだったのではないか。
「名水」と言われ、目の色を変えた「名水亡者」がたくさん押しかけて、巨大なペットボトルを幾つも満たすまで独占している…… そんな光景を観ると、水が汚れること、自然が穢されること、それがそのまま人の心を汚しているように思える。名水亡者の濁った心には、 どんな名水も効き目などあるはずはない。
ふと立ち寄った旅人が、その土地の恵みを、感謝をこめてひっそりといただく。それを地元の人もほほえましく見てくれる。 松本の湧水は、いつまでもそんな形であって欲しいと思う。
白馬から、雨飾山の麓の原生林を抜け、焼山、火打ち、妙高といった信越の名峰の中腹を巻くダートを行くと、笹ヶ峰牧場に出る。
この牧場のど真ん中に人知れず名水があるという。
ビジターセンターにバイクを止めて、牧場の中の柵を巡らせた道を800m進むと、岸辺にクレソンが生る小川に出る。その源流は、 あちこちからモリモリと水がわき出ていて、手をつけると千切れそうなほど冷たい水が蕩々と流れている。
牧場までのアプローチが長く、他に観光資源もあまりなく、しかも車を降りて歩かねばならないということで、名水亡者の陰もなく、 ゆっくりと清々しい自然に浸りながら、水を味わう。
昔、あちこちの山を登って回っているとき、とびきり旨い沢水の場所を記憶していて、 そこを大休止のポイントやキャンプサイトとしていたが、あの水たちは、まだ穢されずにいるだろうか……ふと、そんなことを考えてしまった。
この世界的にも希有な水の国の湧水が、いつまでも安心して味わえるものであって欲しいと思う。
2008/09/06 カテゴリー: 11.近況 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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「ダークナイト」のジョーカー=ヒース・レジャーの演技があまりにも心に響いてしまい、 iTunesでダークナイトのサントラを購入して、ひっきりなしに聴いている。
そして、シーンの一つ一つを思い浮かべて、あらためて、ダークナイトが問いかけたテーマについて考えさせられ、 ジョーカーというパーソナリティが表現していたもの、それを演じたヒース・レジャーという役者の魂について考えている。
そのヒース・レジャーが俳優としての地位をしっかりと確立した「ブロークバックマウンテン」を観た。
そこにも、じつに深みのある物語があった。
そして、素晴らしい役者がいた……いや、ヒース・レジャーにおいては、それは演技ではなく『体験』であり、『生きている瞬間』 そのものだったのかもしれない。
彼には、もっともっと生きて、全身全霊をかけて彼が体験する物語をもっともっと、我々に問いかけて欲しかった……。
2008/09/02 カテゴリー: 11.近況 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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