今年の正月は、30年来の友人と久しぶりに年越しして、明けてからは茨城の実家でのんびり過ごしました。
昔は、年末に帰省して正月朔日は鹿島灘で御来光を拝むのが恒例でしたが、それも10年以上ご無沙汰。 今年は年明けしてから3日経って、その鹿島灘の一角の浜に出て、ビーチコーミングしてきました。
**延々と砂浜が続く鹿島灘。 昔に比べて、浜は狭くなり、防風林も痩せてしまった**
およそ50kmにも渡ってきれいな弧を描きながら砂浜が続く鹿島灘は、 かつては砂防林の松林と白砂の浜と青い海だけが延々と続くシンプルで雄大な景色が自慢でしたが、 石油コンビナートができたり大規模な港が建設されたり、さらには砂浜の浸食が進んで、以前の半分以下に痩せてしまい、 かつての景色を知る者にとっては寂しい気がしますが、それでも、弧を描いて長大な砂浜が一望できるこの景色は、他に比するものがありません。
夏には海水浴客で賑わうこの海岸も、今は人影もまばらで、この景色を独り占めしているような感覚は最高です…… ちょっと風は冷たいですが(笑)
ぼくが海岸に出た昼過ぎは、ちょうど満潮だったせいで砂浜はさらに狭く、その満ち潮にさらわれてしまったのか、 打ち寄せられた漂流物や海産物はあまり多くありません。それでも、いくつかきれいな貝殻を拾いました。
夏に、この海岸で昼寝をしていると、周囲でカサコソと音がして目を覚まされます。 なるべく動かないように薄目を開けて周囲を見回すと、小さな穴から出て来たカニやヤドカリが取り巻くように動き回っています。 少しでも動く気配を見せると、ササッと穴に潜り込んで、息を潜めてしまいます。
そんな夏の光景を思い出しながら、波打ち際を散歩していると、あのカニやヤドカリたちは冬の今はどうしているのか気になります。
この浜に は、不思議な伝説が残され ています。
江戸の中期、「はらやどり浜」と呼ばれたこの海岸に、大きなお釜のような形をした舟らしきものが流れ着きます。 漁師がそれを見つけて、扉と思しきものを開くと金髪碧眼の長身の女性が箱を携えて出て来ました。
彼女は見慣れぬ不思議な服装をしていて、話す言葉は誰にもわからず、箱の表に記された文字も誰もが初めて見るものでした。
この不思議な舟と中から出て来た不思議な女性の報告を受けた代官は、面倒が起こることを恐れて、漁師たちに、再び女を戻し、 舟を沖へ流すことを命じました。
**馬琴が記録に残し、渋澤龍彦が 「うつろ舟」という幻想小説に仕立てたこの浜に残る伝説。そのうつろ舟と中から出て来た人物、箱に記された文字。 海岸にある記念碑から**
その後、そんな舟のことも土地の噂に上らなくなった頃、また同様の舟が海岸に流れ着きました。今度は、 漁師たちは外側から扉を封印し、そのまま沖へと戻してしまいました。
そんな話が口伝てに江戸まで届き、滝沢馬琴が「兎園小説」の中で「うつろ舟」として紹介し、時代が下って、 その逸話にインスピレーションを受けた渋澤龍彦が「うつろ舟」という同名の幻想小説にまとめました。
のんびり、ビーチコーミンク゛しながら、流れ着いた「うつろ舟」があったら、自分が代わりに乗り込んで、 そのまま補陀落に渡ってしまおうか……などと考えた2007年の正月でした。
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