戦争の悲惨と天災の悲惨が相次ぎ、地球ももうお終いなのではないかと思わされるような2004年もようやく暮れようというとき、まさに驚天動地の大天災。
締めくくりが未曾有の悲惨となってしまった2004年が明けて、2005年を迎えたわけだが、果たしてこの新年を祝っていいものやら……なんて考えているうちに、もう10日が経過してしまった。
前回のこのコラムで、唐突に「海」というテーマが浮かんできて徒然に思いつくままを書いたが、まさか、そのすぐ後に海の猛威を見せ付けられようとは……。
ちょうどその翌々日、古い友人と久しぶりに会って、新潟の地震の話から、江戸時代の東南海地震とそれに伴う津波の話などして、その帰り道に別な友人のところに寄って、インド洋大津波のことを知った。
年末年始は久しぶりに茨城の実家で過ごしたが、年が変わって気分も一新するというよりは、ここまでリニアにエスカレートしてきた天災やら戦争やらが、そのままエスカレートし続けて行くような気がして、どうにも浮かぬ年明けだった。
初詣に大洗の磯前神社に出かけ、磯に向かう一の鳥居の下から海の彼方を見やったが、そのとき思ったのは、あのインド洋の津波で、波が引いたときに、もの珍しく思った地元の人や観光客が取り残された魚や貝を拾って沖まで歩いていってしまったというが、自分なら、あるいは日本の海の沿岸で生まれ育った者なら直ちに異常を感じて、なるべく海から離れるように行動しただろうにということだ。
波打ち際で子供を遊ばせていると、瀬戸内育ちの妻やその妹は「波が来るから、早く逃げて」なんて黄色い声をあげる。こちらは、地元の海の波のリズムを体が覚えているので、どの波が、今自分と子供がいる際を洗うかは正確にわかる。そのリズムを捕らえている間は安心して子供を遊ばせているが、ふいに引きが強くなり、打ち寄せる波の間隔が広くなると、次は高波が来ることが本能的にわかって、子供を抱いて逃げる。
外海の波のリズムは、どうやら瀬戸内の海で育った人にはわからないようだ。また、ぼくの傍らで打ち寄せる波と遊んでいたカップルは、これも高波のリズムを捕えることができず、逃げ切れずに足を洗われた。
子供を抱いて、新年の海を見やりながら、「今年は、きちんと本能を磨こう」と思った。
スリランカでは、津波に洗われた自然公園の中で、不思議なことに犠牲になった野生動物は皆無だったそうだ。ゾウやトラなどの大型動物はまだしも、ネズミの死骸も皆無で、現地の当局者は首をかしげているという。その場所に「癒し」を求めて旅に出かけた日本人ツアー客は、そのほとんどが波に飲まれて命を落とした。
アンダマン海のある島では、隣の島が1万人以上の島民のほとんどが犠牲になったというのに、3万人の人口のうち津波の犠牲になったのは6人だけだったそうだ。この島には20世紀初頭の頃の大津波の話が伝説となって伝わっており、波が沖に引いたときに、島民のほとんどが「海の水が引いたら高台に逃げろ」という伝説に従って高台に逃げて助かったのだという。
幼い頃、「年寄りのいうことは聞くものだよ」と、祖母が噛んで含めるようにしつこく言っていた。先人の記憶をしっかり受け継ぎ、自分の本能を磨き、2005年はしっかりと自然の息吹を見極めたいと思う。 だが、先人の智慧も本能も、人間が起こすもっとも愚かな「戦争」には通用しそうもない……。
―― uchida
コメント