今、仕事で使っている椅子はスチールケース製のエルゴノミックスチェアだが、これは97年に事務所を開設する際に2年落ちくらいの中古を購入したものだ。
それを3年ほど使ったところでファブリックが擦り切れてきて、そのまま捨ててしまおうかと思ったのだが、サイトで椅子の張替えをしてくれる職人さんを見つけてお願いすることにした。
東加工所の荒川さんという若い職人さんがわざわざ埼玉から都心の事務所までトラックを運転して椅子を引き取りにきてくれ、1週間後にはファブリックとともにへたっていたウレタンも新しいものに替えられて新品同様になった椅子をまた元気に届けてくれた。
それから、彼はこの椅子のことを我が子のように心配して、「不具合があったら、いつでも直させていただきますから」と、何かの折に丁寧なメールをくれるようになった。
その荒川さんから長野県に居を移すという連絡をもらったのは一昨年のことだった。
一昨年の9月に、荒川家には娘さんが生まれた。
「湖白ちゃん」と名づけられたその子は心臓に重い障害を持ち、手術が必要だった。その手術とケアができるのは長野県立こども病院しかなく、湖白ちゃんのために一家で病院の近くに移り住むことを決意されたのだった。
その後、手術は成功し、湖白ちゃんも元気になった。ただし、それでふつうに健康になったわけではなく、まだ幾度かの手術が必要で、経過観察も続けていかなければならないという。
それでも、長野県立こども病院での入院生活はひとまず終え、今は地元の埼玉に戻って、親子水入らずで暮らす幸せを噛み締めている様子が、湖白ちゃんとの生活を綴ったサイトからひしひしと伝わってくる。
東加工所は今ではインターネットで椅子の張替えをする受注する工場としてメジャーになっているが、そもそも自慢の職人の腕をネットで一般の人に直接知ってもらおうと発想してサイトを立ち上げたのは荒川さんその人だった。
インターネットの黎明期ともいえる頃からコツコツとWEBサイトを作ってきた荒川さんだけに、湖白ちゃんの経過を追うサイトは、同じような心臓疾患を抱えた子を持つ親にとってはもちろん、障害を持つ子の親にとって有意義でかつ励まされる内容のサイトに仕上がっている。
そこで登場する湖白ちゃんの今の無邪気に遊ぶ姿を見ると、本来生命が備えている「生きる力」というものをつくづく感じる。 昨日、ぼくは朝からずっと昭和大学の付属病院にいた。
ぼくの息子は、湖白ちゃんのちょうど1ヶ月前に生まれたが、生後二ヶ月のときに高熱を発して、生死の境をさ迷った。 息子は、腎臓と膀胱を繋ぐ尿管の弁が未発達で、細菌を含んだ尿が腎臓へ逆流して腎盂炎を起こした。症状が進んでしまい、敗血症から熱性痙攣を起こした息子は抗生物質が効かず、最後の手段である血液製剤を使うことで一命を取りとめた。
血液製剤の効果があらわれなければ諦めるしかないと医者に言われ、酸素吸入器と心電計に繋がれた息子は、紅葉ほどの大きさしかない手なのに、驚くほど強い力でぼくの右手の小指を握り締めていた。その息子の手からは、生きようとする力がはっきりと伝わってきた。
息子は、なんとかその死の縁から這い上がったが、退院した後に再び腎盂炎を起こし、生後6ヶ月までの間の半分を病院で過ごすことになった。その後も、投薬と経過観察を続けているのだが、昨日の通院は、その経過観察のための検査だった。
そんな事情もあって、湖白ちゃんのことは他人事ではない。
荒川さんは、湖白ちゃんの病気を湖白ちゃんの「個性」だと書く。そして、その個性とうまく付き合い、より元気な個性に変えていこうと。そんな言葉に力をもらった親も多いだろう。もちろん、ぼくもそんな一人だ。
それにしても湖白ちゃんからも、自分の息子からも、ぼくは、命が本来持っている逞しさも教えてもらっている気がする。二人が今生きていられるのは、進んだ医療技術のおかげでもある。でもそれ以上に、二人の「生きる意志・生きる力」がなければ、危機を乗り切ることはできなかっただろう。
そして何より、障害など意識せずに、元気に明るく成長していく姿を見守っていると、いささか草臥れた中年男にも、新たな「生きる力」が湧いてくる。
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