東京都が2020年東京オリンピックの誘致時に策定した神宮外苑前の再開発計画は、「環境に配慮したエコな建物を建設する」といいいながら、いきなり1000本あまりの樹木を伐採するということで、いわゆる「グリーンウォッシング」そのものではないかと、大批判を浴びている。
とりあえず、「環境には配慮してますよ」とお題目を唱えておいて、実際に動き始めたら勝手放題というのがグリーンウォッシングだが、「ミニマルな大会を目指しますよ」といっておきながら、前代未聞の巨額大会となり、おまけに贈収賄の温床となって、いったい誰のための大会だったのという為体だった東京オリンピックの第二幕と考えれば、これも、なし崩しのやりたい放題になるだろうというのは想像がつく。
先日、惜しくも亡くなられた坂本龍一さんも「先人が100年かけて育てた緑を守るべき」として、市民団体の共同主宰者として積極的に活動していた。
理屈としては、100年前に人が植えた人工林だから、それを今の人間が更新してもかまわないだろうとも言えるかもしれない。だが、100年前に植えられて現在まで樹木自らが成長を続け、代々、手入れをしてきた人たちがいる。100年前に植生計画が立てられて、もしかしたら、その計画が100年をかけて今実現したものかもしれないのに、それを無くしていいのかという思いのほうが強い。
18世紀のイギリスの詩人アレキサンダー・ポープは、友人であるヘンリー・セントジョン卿に宛てた手紙の中で、庭園やランドスケープを設計する際に、土地の雰囲気や特質に合わせることを重視するようにという意味で、「ゲニウス・ロキに聞け」という有名な言葉を残した。このポープの提言は、造園や建築以外にも詩人や画家にも大きな影響を与えた。ゲニウス・ロキとは、ラテン語で「地霊」を意味する。「地霊」といっても、オカルト的な意味ではなくて、個々の土地が持つ独特の「雰囲気」のようなものを指している。
建築史家のクリスチャン・ノルベルグ=シュルツは『ゲニウス・ロキ 建築の現象学をめざして』(1980年。邦訳は1994年)を著して、建築は場所の精神(ゲニウス・ロキ)を表現するものであり、場所と建築の関係を「ロマン的」「宇宙的」「古典的」という三つの視点から考察し、現象学の立場から、建築は人間の存在と経験に関わるものであると主張し、建築論の主題を空間から場所へ移行することを促した。
そんなことを考えると、神宮外苑前の再開発計画というのは、はたして「ゲニウス・ロキに聞いて」それに沿ったものといえるのかどうか。まず自然にお伺いをたてたのかどうか疑わしい。建築史の流れからしても、逆行しているようにみえる。
ところで、日本では、古来、「禁足地」と呼ばれる場所が各地にあった。そこは、神や祖霊が宿る場所で、用のない人が立ち入ってはならず、もし立ち入ると祟りを受けるとされた。そんな禁足地は、自然のままもしくは神職が手入れをする植生が厳密に維持される場所だった。言いかえれば、そこに息づくゲニウス・ロキがもっとも大切にされてきた場所といえる。
そもそも、「森(もり)」は「杜」であり、気安く人が入ってはならないところだった。薩摩、大隅半島周辺には、モイドン(森殿)と呼ばれる場所がたくさんあった。それはカドと呼ばれる農家の同族的グループ、多くは同姓の者たちが祀るもので、屋敷地に接してシイ、カシ、クス、アコウなどの大樹があった。モイドンには祭の時以外は近よってはならず、木の葉一枚でも持ち帰ったり、燃やしたりするとすぐ祟りがあるとされた。沖縄の御嶽(ウタキ)や城(グスク)も同じような禁足地だった。
そうした禁足地の代表的なものを谷川健一が『日本の神々』の中で紹介している。
たとえば、種子島のガロー山(ガロ山)は、田畑を開拓した際に土地の悪霊を移したものであると考えられていて、非常にたたりやすい聖地であり、木を伐ってはいけないし、森に入ることも禁止されているとされる。一説には、ガロは伽藍を指すとも言われる。対馬や壱岐のヤボサと呼ばれる森は、そこに足を踏み入れただけで、やはり祟りがあると言い伝えられている。ヤボサは「野菩薩」と表記されることもあるが、それは、ここが古来の埋葬地であったことを意味しているという。
私は茨城県の海岸沿いの町に生まれ育ったが、子供の頃、「あそこには、底なし沼があるから近づいてはいけない」などと大人から言われるような場所があったが、今にして思えば、それも禁足地のようなものだったのだろう。
中沢新一は、東京の今の地図に縄文時代の地形と海の陸への嵌入をレイヤーさせて、今に残る神社や遺跡が、縄文時代には岬に相当する部分に重なっていることを発見して、岬が太陽の運行を観測したり、また天に近い葬送の場所として、そのころから聖地とされていたのだろうと『アースダイバー』に記している。そうした場所も、たぶん、長い間禁足地だったはずだ。
そんな禁足地という観念も薄れ、自然に対する畏敬の感覚も失われていったのは、いつの頃からだろう。高度経済成長期は、自然破壊や環境汚染の最盛期ともいえるような時代で、深刻な公害問題に悩まされた。また、無差別に森が切り開かれて、ニュータウンが建設されたり、農業用水と電力を確保するために大規模なダムが作られ、原子力発電所も建設された。この頃は、間違いなく、禁足地なんて感覚は人の意識から吹き飛んでいたし、ゲニウス・ロキなどというものも顧みられることはなかったといえる。
だが、その後、遅ればせながら、人類は地球環境を悪化させてきたことに気づき、様々な環境アクションが動いている。しかし、一方では経済を優先し、利権を追い求める力も巨大なまま蠢いている。神宮外苑の問題もやはりそこに根がある。
はたして、人は自然に対する素朴な畏敬の念というものを取り戻せるのだろうか。禁足地やゲニウス・ロキという言葉が、現実的に感じられる心性を取り戻せるのだろうか。
そうした感覚を取り戻せるかどうかが、環境問題解決のコアだと思うのだが。
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