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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.245
2022年9月1日号
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◆今回の内容
○霊山信仰の源流
・神仙の住む山
・泰山府君祭
・日本の霊山
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霊山信仰の源流
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前回は、日本古来の山岳信仰が修験道へと発展してった過程を辿りましたが、そうしたドメスティック中心の流れと別に、仏教や道教思想の霊山信仰も流入し、ときにそれ独自に発展し、あるいは、修験道とも絡み合いながら発展してきました。
新潟県にある妙高山が、仏教的世界観で「宇宙樹」と考えられた須弥山の別称であることは前回触れましたが、このルーツは古代インドの思想で、仏教とともにヒンドゥー教にも受け継がれました。ヒンドゥー教では「メル山」もしくは「スメル山」と呼ばれます。ですから、ジャワ島で聖山とされるスメル山も妙高山と同じ須弥山という意味になるわけです。
先日、妙高山の麓にある三所権現を祀る関山神社を訪ねたとき、他は青空が広がっているのに、神社の背後にある妙高山からは雲が立ち上り、境内にパラパラと雨が降り出しました。
西側から山に当たった風が上昇気流となり、それが雲を結んで妙高山の上空に集まり、東麓に降るという、この地域独特の「山の生理」があるのですが、そうした特殊な気象は、昔の人から見れば、妙高山の上空で天の神がその存在の威厳を示し、東麓の関山神社に降臨するように思えたでしょう。
妙高山の南には、飯縄山から戸隠山の山系が続きますが、戸隠が戦国時代に上杉と武田の戦いの舞台になったときには、戸隠の修験者たちは関山神社に難を逃れました。関山神社で毎年7月17日に行われる火祭りでは、そうした故事に因んで、仮山伏が柱松への点火を競う神事が行われます。
日本で霊山といえば、富士山、立山、白山が三大霊山と呼ばれたりしますが(組み合わせはほかにもいろいろあります)、そうした霊山の信仰は、日本古来の山岳信仰のベースの上に、仏教や道教の神仙思想が混入したことで生まれました。
もっとも有名なのは、秦の始皇帝の命を受けて、不老長寿の妙薬を持つ仙人を探して蓬莱山を目指した徐福の伝説でしょう。その徐福伝説によれば、総勢3万人ともいわれる徐福の一行は、東海上にあるとされた蓬莱山を目指して、東に船出し、日本にたどり着いたといわれます。そして、その一行が最後にたどり着いたのが、蓬莱山=不死山=富士山であったといわれるのです。
今回は、そうした「外来」の霊山信仰のルーツと、それが当てはめられた妙高山のような日本の霊山=聖地の例を紹介したいと思います。
●神仙の住む山●
前回の風水の話でも触れましたが、古代中国で成立した風水思想は、西にある崑崙山から発する「気」が、いつくもの支流を作り、中国全土に流れていくという世界観をベースとしていました。
私は、何度かタクラマカン砂漠周縁のシルクロードを巡りましたが、その南縁に沿って伸びる西域南道を行くと、砂漠の反対側に崑崙山脈が立ちはだか屏風のように連なっています。その気の遠くなるような長大な稜線と、赤茶けた山肌の荒涼は、日本の瑞々しい山並みを見慣れた目には、まったく異質のこの世ならぬ不気味さを感じさせます。そして、そこが人智の及ばない、仙人、あるいは神々や魑魅魍魎の世界であり、ここに潜む気の猛々しさをイメージした昔の人たちの感覚が我がことのように迫ってくるのでした。
古代中国では、そんな、すべての「気」の源である崑崙山の信仰とともに、仙人が住み、不老長生の仙薬があるという三神山が信じられていました。渤海湾に浮かぶ蓬莱山、方丈山、瀛洲山という想像上の三つの霊山です。
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