□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.231
2022年2月3日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○際(きわ)から見えてくるもの
・闇の歴史
・白山信仰
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
際(きわ)から見えてくるもの
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
聖地を探索し、そこに関わる人や歴史を掘り下げはじめたときから、ずっと気になっていることがあります。それは、「際(きわ)」ということです。
まず、聖地は、際に存在することが圧倒的に多いのです。
日本古来の山岳信仰では、山の頂は天と地が接する際であり、そこには祖霊たちの魂が集まると考えていました。それを里から仰いで祖霊を想い、祈る拝所が設けられ、それが後に神社という形をとるわけですが、その拝所も聖なる場所である山とつながる里の中の「際」とみなされました。
稲作文化が入ってくると、天と接する山は神の住処とされ、春になるとそこから神が降りてきて田に宿り、稲の生育を見守り、秋の収穫を終えると帰っていくと考えました。だから、春の祭りは山から神を迎えるものであり、秋は神とともに収穫を祝い、神を山へ送り返すという意味を持っていました。
同じような山岳信仰はネパールやチベットにありますが、そこはあまりにも山が高く急峻でそれ以上進めない場所であり、東漸の一つのルートをたどってきた仏教はここでどん詰まりとなって、独自のチベット仏教の思想を生み出します。
さらにもっと違う観点からみれば、日本という土地も「極東」といわれるように、そこは大陸から離れた陸のどん詰まり=際であり、また黒潮や親潮の海流が流れ着く際でもあります。だから大陸や朝鮮半島、シベリア、さらにはポリネシアからやってきた人たちの終着点となり、縄文文化という独自の文化が生まれたといえます。
縄文文化は1万5千年も続いて、その間、大きな殺戮などなく平和だったといわれますが、縄文研究の第一人者の小林達雄氏は、日本列島が「戦いから逃れてきた者たちの吹き溜まり」であり、「もう戦いはこりごりだ。もうどこにも逃げ場はないんだから、ここでみんなで平和に暮らそう」といった意識があったからだろうと推測しています。
そうした地理的な際だけでなく、人間社会の中にも「際」は存在します。定住せずに各地を渡り歩く遊行者や芸能者、そして山師や木地師、巫女や修験者、人が忌み嫌うものを扱う者、いわゆる河原者、こうした人々は、人間社会の「際」にあって、「普通」とは違う者たちとみなされていました。
彼らは、際にあるからこそ冥界や異界との繋がりがあると考えられ、人々から恐れられると同時に差別され、また迫害の対象とされました。一方、「際」に存在する人々は、その立場ゆえに、存在の意味を深く考え、異界を意識し、様々な思想や文化を生み出してきました。宗教も、そうした「際」から生み出されてきたものです。
今回は、そんな私の長年の関心事であった「際」について考え、そこから生み出されてきたものを見つめたいと思います。
●闇の歴史●
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
コメント