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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.221
2021年9月2日号
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◆今回の内容
○聖地・パーソナル・随想
・30年目の節目に
・記憶装置としての聖地
・人と聖地
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聖地・パーソナル・随想
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前回は、お盆に観た父の夢からはじまり、幼い頃の思い出を繋ぎ、人と「異界」との触れ合いについて取り上げました。このテーマは、じつは配信する前日に思いついたもので、当初は違うテーマを取り上げる予定でした。
いつもは、推敲が深夜になることが多いのですが、前回は珍しく昼には推敲を終え、スムーズに配信も済みました。夜中の配信だと、それで力尽きて眠ってしまうのですが、このときは、あまり疲れも感じず、PCに向かったまま、一日ぶりにSNSを開きました。すると、いきなりショッキングな投稿が目に飛び込んできました。
長年親しくさせていただき、SNS上でも毎日のようにやり取りしていた友人のアカウントに投稿されていたのは、その友人の突然の死を知らせるご主人の報告でした。
ご夫婦と、高専の一年生をいちばん上に、小学校二年生まで四人の元気な男の子の家族で、親の愛情をたっぷり注がれ、元気で賑やかで、そしてユーモラスな子どもたちの様子でSNSの投稿は埋め尽くされていたのに……。
亡くなったKさんは、考古学の修士号を持ち、ご主人も考古学者で、奈良市の中心で考古学をモチーフにした様々な小物などを製作販売したり、各地の博物館などでの考古学イベントをサポートする会社を経営されていました。
彼女が企画してデザインした古墳型のコーヒー計量スプーンやスコップ型のスプーンなどを私もいただいて愛用していました。
先月の9日には、私が住む町の隣の茨城県大洗町の博物館で講演されるということで、それを聴きに行って、久しぶりに話をするのを楽しみにしていました。しかし、茨城県がコロナ禍による非常事態宣言下に入ったことで延期となり、残念に思っていた矢先でした。
亡くなる少し前の投稿では、朝、四男君と一緒に手をつないで家を出たときのエピソードが綴られていました。通学路と事務所との分かれ道まで来て、「よし、じゃあいってらっしゃい!ここでお別れね」と、Kさんが手を離すと、四男君が「お別れって言わないで!!」と、急に涙ぐんでしがみついたというのです。
さらに、「言葉がまとう(まとわせる)意味は人それぞれだなぁと思った次第。四男には『お別れ』は辛いらしい」と結ばれていました。
大洗町での打ち合わせに何度か上京した折には、距離的な関係もあるし、なによりコロナ禍で関東のほうの友人にはなかなか会えないこともあって、日帰りのタイトなスケジュールを調整してお茶をしたなどという話も聞きました。
四男君のエピソードとそんなことを考え合わせると、何か予感めいたものが彼女にあっただろうかと考えたくなります。とても感受性の強い人でしたから、なおさらに。そして、Kさんが亡くなったまさにその当日に、ふいにお盆であることを思い出して、この講座のテーマを変えたのも、もしかしたら、潜在的にKさんのことを察知したためではないだろうかなどとも考えました。
私は、輪廻や前世といったものは信じませんが、こうした事があると、Kさんの魂が、彼女の子どもたちのその子どもたちにまた再生してきてほしい、きっと再生してくると信じたくなります。そして、私がずっと実践してきた実証的なアプローチだけでなく、自分の感覚を信じて、ロジカルに説明できないこともあると、素直に認めたほうがいいのではないかとも思わされるのです。
そんなことをきっかけに、今さらながらですが、聖地とはいったい何だろう。聖地と人とはどんな関わりを持ってきたのだろうと、原点に戻って考えています。それは、同じように「聖地」をテーマにして、考え、仕事をしてきたKさんのビジョンに思いを馳せることにも繋がるのではないかと。
●30年目の節目に●
今年、2021年という年は、私が聖地と関わってきた歴史の中で、大きな節目となる年です。
ちょうど30年前の1991年の秋分の日、バイク仲間の三人と、今では「ご来光の道」として知られる春分と秋分の太陽の光が日本を横断していくレイラインの一部をたどりました。その頃は、まだ大きく無骨で、機能的にも頼りない登場したてのGPSをオートバイのハンドルに取り付けていました。
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