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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.220
2021年8月19日号
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◆今回の内容
○お盆と神隠し
・傘屋の竜宮巡り
・子供が神隠しに遭うこと
・天狗、狐、鬼
・鳴り物の意味
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お盆と神隠し
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お盆の時期というのは、どこか物悲しいものですが、今年は梅雨の末期のような前線が居座って各地に豪雨と水害をもたらし、季節外れの冷涼な陽気だったせいもあり、さらに、新型コロナの感染爆発ともいえる第5波の真っ只中ということもあって、あまりお盆の実感が湧きませんでした。
昔、祖母が存命で元気だった頃は、お盆の前には先祖を迎える飾りつけをして、墓参りの後に迎え火を焚き、仏壇に提灯を灯すと、そこに先祖の霊が戻ってきたように感じたものでした。そして、盆送りでは、先祖のために仕立てた飾りを送り火とともに燃やし、その火が消えいくのを眺めながら、彼岸に戻った先祖の霊と入れ替わりに、秋の気配が忍び込んでくるのを感じたのでした。
私は、高校を卒業すると都会に暮らし、お盆に帰省することもほとんどなかったため、そんな昔の感覚をずっと忘れていました。3年前に田舎に戻ると、その翌年に義弟が亡くなり、昨年はその新盆を迎えました。その時、かつてのお盆の感覚が蘇ってきたのですが、今年はまた遠いものになってしまったようでした。
太陽信仰からいえば、夏至が昼の時間がピークとなる、つまり「陽が極まる」ときで、そこから陰=夜=彼岸が次第に力を増してくるわけです。ところが、夏至は梅雨の真っ只中で、陽の強さを実感できないため、梅雨が開けて、暑さがピークとなる時期、つまりお盆の頃が「陽の極まる」時として実感されたのでしょう。
日が短くなっていくのを実感し、暑さも和らぎはじめるこの時期に、彼岸が近づいてくるをことを意識して、彼岸にいる先祖をもてなして供養することで、陰へと向かう季節がつつがないように願った。それがお盆なのでしょう。
仏教寺院では、お盆に合わせて施食会(施餓鬼会)が行われます。これは、「無尽法界一切の亡霊、財宝に飢饉せる無量の鬼神、悪趣の群生に対して、香華灯燭茶菓香飯山海の珍味江河の浄水を備え、諸経神咒を諷誦し、これら霊的存在が善処に転生して、尽未来際無窮の快楽を受けることを願って行なわれるのである」(『聖と呪力の人類学』)とされるように、力を増していく「陰」の力をあらかじめ懐柔し牽制しておこうという意志が垣間見えます。
京都の祇園祭も祟神(たたりがみ)を鎮めるための御霊会ですし、葵祭も祟りなした賀茂の神を鎮めるための祭りです。そこには、施餓鬼会と同じく「陰」の力が増してくるのを恐れる心理が働いています。
今年はいつにもましてお盆の雰囲気が出ないなと思いつつ、そのように、お盆の意味など考えていた15日の晩、42年前に亡くなった父の生前のあるシーンを、ふいに思い出しました。そして、それをきっかけに、「神隠し」について考えはじめたのでした。
●傘屋の竜宮巡り●
あれは、私が小学校の四年生か五年生の時でした。
その頃は、襖を隔てた隣の部屋で、父と母が寝ていました。ある朝、母親の凄まじい悲鳴と、それに続いた父の異常な笑い声で目が覚めました。父が錯乱したのかと、驚いて飛び起き、慌てて襖を開けると、布団の中で頭を抱えて体を丸くしている母と、その隣で上半身を起こして、腹を抱えて笑っている父の姿がありました。
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