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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.172
2019年8月15日号
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◆今回の内容
○お盆を契機に生命や意識に思いを馳せる
・盂蘭盆
・前世、輪廻、解脱、DNA
・量子脳という発想
◯お知らせ
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お盆を契機に生命や意識に思いを馳せる
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これを書いている今、大型の台風10号が豊後水道から九州、四国に上陸しようとしています。東日本にまで強い湿気を運んできているこの台風は、速度も遅く、今まで考えられなかったような大雨が懸念されています。年々、こうした異常気象のケースが増え、さらにそれが極端になっていく中で、それを招いたのが私たち人間による文明化と乱開発による温暖化だということを心して、様々なシステムを変えていかなければならないと痛感させられます。
台風10号は、ちょうどお盆の期間に当たり、帰省やUターンラッシュも重なって、大混乱が予想されています。かつてのお盆を思い返してみると、それは夏の終りを告げるものでした。
太平洋に面した私の故郷では、昔は、夏休みに入ると、子どもたちは喜び勇んで海に行き、へとへとになるまで水遊びをしていました。夏の間に二度も三度も日焼けで皮膚が剥け、真っ黒を通り越してコガネムシのように、光の当たり方によって七色に輝くような肌色になって、髪も赤茶けて、まるでアフリカの荒野を駆け回っている裸族の子供のようでした。
月遅れのお盆の入りには、地元では三角波と呼ぶ土用波が立つようになり、曳き波にさらわれやすくなるのと、毒を持ったクラゲが多くなるので、海から足が遠のきます。その頃になって、ようやく溜まった宿題に手をつけなければと、急に現実を思い出して焦りはじめます。
朝から遊びに飛び出していくこともなく、宿題のドリルと向き合ってもやる気がおきなくて鉛筆を咥えていると、お盆の飾り付けの手伝いを祖母に言いつけられます。野菜で先祖の魂が乗る馬を作り、提灯に火を入れて、迎え火を焚き、先祖を迎えに墓参りに行きます。お盆の間は、一年で一番、家の中がにぎやかになります。親戚が一同に集まり、従兄弟たちと遊んでいるうちに、やがてお盆も過ぎていきます。みんなが帰り、潮が引くように静かになって、迎え火をしたときと同じように祖母と二人で送り火をすると、空気はもう完全に秋に。夜は秋虫の鳴き声が響き、夏を懐かしむまもなく新学期が始まる。
高校を卒業してからずっと都会暮らしをしている間、そんな夏の機微というか風情をすっかり忘れていました。今年は、4月に義理の弟がなくなり、私の妹が墓所を整えたり、新盆を迎える準備などをしているのを傍らで見ていて、昔のお盆の情景を懐かしく思い出していました。
昔集まっていた伯父や伯母、従兄弟の何人かは鬼籍に入り、お盆に集まる顔ぶれは変わりました。でも、今度は甥や姪がいて、縁が繋がった義弟の兄弟も訪ねてくる。あらたな顔ぶれで、「家」は受け継がれていきます。一人で生きているようで、じつは受け継がれて来た命と縁を繋いで、人は生きているということをお盆のおかげで実感させられます。
そんなことから、この数日は、お盆の意味や輪廻などについて考えていたのでした。
●盂蘭盆
私たちが「お盆」と呼んでいる行事は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」です。旧暦7月15日を中心に行われる先祖供養の仏事で、盂蘭盆とは梵語で倒懸(さかさづり)になっている死者を救うという意味です。
釈迦の弟子に目蓮(もくれん)という人がいました。彼の母親が亡くなった後、心眼によってその死後の様子を覗うと、哀れにも母は餓鬼道に落ちて、逆さ吊りにされた挙げ句、非情な責め苦に苛まれていました。目蓮は、これをなんとか救いたいと、釈迦に相談します。すると、釈迦は、目蓮一人の力ではどうすることも出来ないから、7月15日に衆僧を集めて供養し、その功徳で母を餓鬼道から救うように命じました。それが、盂蘭盆の起源と伝えられています。
いっぽう道教では、旧暦の7月15日は十五夜であり、一年の半分が経過する日であることから、この日を「中元」と呼び、半年の贖罪とともに神を崇め、先祖を祀る日としてきました。中元には、庭で火を焚き、神に祈り、近隣の人が集まって持ち寄った供物などを交換して宴を開きました。ちなみに、道教では旧暦の正月15日を上元、旧暦の10月15日を下元として先祖の霊を祀る行事が行われます。
日本のお盆は、宗教的な意味合いとしては仏教の盂蘭盆であり、行事の形態は道教の中元に近いものになっています。また、もともと夏から秋に変わる節目に行われていた祖霊祭の要素も含まれていて、かなりハイブリッドな習俗といえます。極東の日本は、宗教や様々な文化の終着点ですから、こうしたハイブリッドはお家芸ともいえます。
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