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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.169
2019年7月4日号
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◆今回の内容
○スピリチュアルとは何か?
・ヒッピームーヴメントが生み出したもの
・神秘主義思想とスピリチュアル
◯お知らせ
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スピリチュアルとは何か?
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いつの頃からか「スピリチュアル」という言葉をよく耳にするようになりました。その使い方を見ると、精神世界に関わるようなことなら何でも「スピリチュアル」と言って、占星術も怪しげなセラピーも、果ては神社仏閣にお参りすることもスピリチュアルなるものに含まれるようになっているようです。ちょっと前までなら、「オカルト」と呼ばれていたようなことも、スピリチュアルと言い換えられています。
「オカルト」という言葉も原義は「秘められたモノ」という意味で、顕在するものの裏側に見え隠れする原理やシンボルなどを指していたもので、心霊主義とは一線を画すものでした。それが、不思議な現象はすべてオカルトと呼ばれて、この言葉で括られてしまったため、本来の「奥義」的な意味はすっかり失われてしまいました。
「スピリチュアル」という言葉は、かつてならオカルトに一括りにされたもののうち、ネガティヴな印象のあるものを排除して、幸福や明るさ、前向きさ、それにご利益に結びつくようなイメージのものだけを切り分けて、スピリチュアルと言っているようにも見えます。
日本で使われているスピリチュアルという言葉は、運命論や不可知論にすら行きつかず、幸福や前向きな生き方に繋がると考える(考えたい)事象をただ印象だけで語っているように思えます。例えば、神社にお参りするときに、その神社の成り立ちや歴史などを探求せず、ただ由緒や他の人がブログなどに書いている印象を受け売りしているだけです。ですから、同じ内容のブログなどが乱立しています。
この講座でも、神社はいろいろと取り上げていますが、奈良時代以前の雑多な信仰の時代から、長く続いた神仏習合の時代、そして明治から戦前にかけての国家神道による統制の時代、そして戦後の独立宗教以降では、一つの神社でも祭神から信仰形態まで様々に変化しています。神社の中には怨霊を祀ったものもありますし、東北に多く見かけるように、蝦夷の古い信仰の場所を呪うような形で神社に置き換えられたようなところもあります。そうした歴史や文化的な背景を考慮することなく、ただ神社は「ありがたい場所」として、ネット上に流布している画一的な情報が二次流通、三次流通されているケースがほとんどです。
つい最近、三社祭で御朱印を求める人のあまりのマナーの悪さに神社側が御朱印の配布を取りやめるといったことがありましたが、御朱印が参拝の証明であり、神社の祭神と自らが神秘的な何かで結びつきあうということの印であるという意味がどこかに飛んでしまって、ただ人気のスタンプを集めるのと同じことに堕しているわけで、この混乱自体がとても滑稽です。
「この世に偶然はない、すべては必然」といった言説も「スピリチュアル」同様に、よく聞きますが、これも違和感の強い言葉です。何事かの事象が生起し、それとの因果関係を取り結ぶ先行事象があれば、「Bという結果はAという原因によって起こった。これは必然的に起こったことだ」といえますが、先行する事象のない「必然」はありえません。ただ印象だけで、Aという事象とBという事象を結びつけるのはただのこじつけです。「この世に偶然はない、すべては必然」という言説は、一見、深遠な宇宙の原理でも語っているようですが、言葉として何の意味もなしていません。
スピリチュアルという言葉は、日本語では「霊的」と訳されますが、英語では霊的というだけではなく、精神的、宗教的、超自然的といった意味とともに、荘厳さや普遍性といったニュアンスが含まれています。そもそもは、ラテン語の"spiritus"が語源のキリスト教用語で、神秘主義的な意味合いを多分に含んでいます。
スピリチュアルに関連する言葉に「スピリチュアリティ」がありますが、これは「霊性」や「聖性」という意味で、とくに人間の属性としての霊性といった意味で用いられ始めたのは、1960年代後半のヒッピームーヴメント以降になります。話が少しややこしくなりますが「スピリチュアリズム」という言葉もあって、こちらは心霊主義や降霊術に意味が限定されます。
今回は、そんな「スピリチュアル」という言葉の使い方の違和感を解消する意味と、私自身の整理の意味も兼ねて、スピリチュアル=スピリチュアリティと神秘主義の関係、その系譜を考察してみたいと思います。
●ヒッピームーヴメントが生み出したもの
スピリチュアルやスピリチュアリティという言葉が、頻繁に使われだしたのは、1960年代後半から70年代にかけてのヒッピームーヴメントの時代です。私は、1961年の生まれですから、このムーヴメントの最盛期ともいえる1968年前後はまだ7,8歳で、鮮明な記憶はありませんが、高校生になった70年代半ばにも、ヒッピームヴメントによって生み出されたカウンターカルチャーの影響はいろいろなところに残っていて、少なからず影響を受けました。
アメリカがベトナム戦争の泥沼に入り込み、最後は屈辱的な敗北を喫してベトナムから撤退する時代であり(1975年4月30日のサイゴン陥落は、固唾を飲んで、そのテレビ中継を見守りました)、「武器よりも花を」というテーゼから、フラワーチルドレンとも呼ばれたヒッピームーヴメントは、反権力、自由、そして性の解放を掲げた巨大な文化運動(カウンターカルチャー)へと発展しました。また、このムーヴメントは、自由の概念を単なる権力による支配からの解放というだけでなく、文化的な制約や肉体的な制約をも越えた精神の解放にこそあるとして、ドラッグ・カルチャーも生み出しました。
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