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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.149
2018年9月6日号
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◆今回の内容
◯縄文の聖地とイタコ、アラハバキ
・イタコと土偶
・謎の神アラハバキ
◯お知らせ
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縄文の聖地とイタコ、アラハバキ
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国立博物館で開かれていた縄文展も先日終了しました。このメールマガジンを読まれている方の中にも、いらした方は多いのではないかと思いますが、私は、以前から楽しみにしていたにも関わらず、ついに行けず仕舞いで終わってしまいました。
通算で一ヶ月に及ぶツーリング取材の合間に行ってみようと思っていたのに、都合のつく日は、博物館の定休日に重なってしまい、取材が終了して一息ついたと思ったら、今度は体調を崩して出かけることができませんでした。悔しいので、それぞれの展示物があるところを訪ねて歩こうと思っています。
そんな悔し紛れというわけでもありませんが、今回は、縄文土器が多数出土し、また縄文時代からの信仰が色濃く残る東北のイタコ信仰とアラハバキ信仰を考察してみたいと思います。
縄文文化の一つの特徴は、土偶という呪術的な用途に用いられた土器が非常に目立つことです。その多くは女性を象ったもので、女性を生命の源、地母神のイメージでとらえていたことを表しています。さらに、国宝にもなった仮面のビーナスのように、女性シャーマンと思しき姿のものもあります。
海外では、シャーマンといえば男性が多いのですが、日本列島では縄文時代から後の卑弥呼の時代や、さらには現代までも、北東北に見られるイタコや沖縄のノロやユタのように、シャーマンといえば女性のほうがポピュラーです。
そんな女性シャーマンと縄文の聖地について、イタコを例に紐解き、さらに縄文の聖地に祀られているアラハバキ神を掘り下げてみましょう。
●イタコと土偶●
イタコといえば恐山が有名です。恐山では、毎年7月下旬に夏の大祭が行なわれますが、その際、地蔵堂の周りにイタコと呼ばれる目の不自由な巫女が集まってきます。参拝者は、このイタコに口寄せを頼みます。口寄せとは、イタコが呪文を唱えて、依頼者の血縁者や先祖の霊を呼び、メッセージを伝えるものです。
一時期、夏の風物詩のように、バラエティ番組などで芸能人がイタコに口寄せを頼む企画がありました。中には、マリリン・モンローの霊を降ろして、その死の真相を聞き出すといった際物もありました。イタコの口を通じて、マリリン・モンローは聞き取りにくい津軽弁で話すのですが、質問された死の真相については触れず、「親孝行せねばいげねえぞよ」なんて答えていたのが印象に残っています(笑)。
それはともかく、今でも多くの人が恐山の例大祭を訪れて、イタコに口寄せを頼み、亡くなった肉親の言葉(とされるもの)に涙を流して頷いています。イタコが語る言葉は、「元気にしているか」とか「いつもお前たちを見守っているよ」といった、ありきたりのものにすぎませんが、荒涼とした、死者の世界を連想させる恐山の環境にあって、イタコが発する独特の張り詰めたような雰囲気と向かい合うと、言葉の意味以上のものを遺族は感知するのでしょう。それは、縄文時代にも、土偶に象られたような女性シャーマンが、遺族と向かい合い、亡くなった肉親の言葉や神の言葉を話す同じ光景が展開されていたことを想像させます。
古代の日本語には、「市子(いちこ)」という言葉がありました。古代の人たちは、人や様々な物が集まる「市」という場に、神や精霊も降りてくると考えていました。その市に立って、神や精霊の言葉を語るのが「市巫女(いちみこ)」でした。今でも、占い師が繁華街の片隅などに机を置いて占いをしている光景が見られますが、これも市巫女の名残といえます。「市子」はこの「市巫女」が詰まった言葉です。奥羽地方では、土俗の女性シャーマンが市に現れて口寄せを行い、それを市子と呼んだのですが、訛りのために「イタコ」と呼ばれるようなったといわれています。
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