「◯◯酒店といえば、町でいちばん大きな酒屋さんで、子どもたちはみんないい学校を出て、羽振りが良かったのに、もう、奥さんが亡くなってもお葬式も出せないし、地震で歪んだ建物も直すことができないし、廃墟に住んでる亡霊みたいだった」。先日、帰省した際に、83歳になる母が寂しそうにぼやいた。
自分の同級生だった奥さんが亡くなり、葬儀はしないとの通知は受けていたけれど、とくべつに密葬の場に参列させてもらったのだという。
ぼくの生まれ育った北関東の町の商店街は、景気の低迷がはじまった1990年代から、植物が枯れていくように活気を失っていった。それは日本のどこの地方でも見られる光景だけれど、衰退がとくに顕著に感じられる。それでも、2011年の東日本大震災までは、昔の町並みが健在で、ただ往時の活気を失いつつあるように見えただけだった。
震災に襲われた後の町は、多くの建物が半壊し、それを建て直す経済力もなければ、商売を再開しても持ち直す見通しもなく、気力も失って、多くの建物が打ち捨てられ、ゴーストタウンのようになった。
商店街の低迷の原因の一つは、町外れに新しい駅ができ、そこに大規模店が出店してきたこともある。その新しい商圏に移転した古い商店街の店もあったが、薄利多売の同業大規模店が近所にあっては太刀打ちできない。そこで、いったん移ったものの、ごく少数でも古いお得意さんのいる旧商店街に戻った店もあった。
いっぽう、低迷の原因でいちばん大きいのは、この地方独特の気質のように思う。気候は比較的温暖で、雪も降らず、田畑が広大で、湖と海がある。まあ、ぼんやりしていてもなんとか口にするものには事欠かないというわけで、太古から人が住み、のんびりとやってきたような土地柄だ。
そのせいで、あまり将来のことを心配するようなこともなく、目先のことだけを考えて生きていればいいといった気質が醸成された。また、地理的に古い街道から外れて隔離されたようなところだったので、情報に疎く、自分たちの生活が脅かされなければ、何も変わらないほうがいいという保守的な性格が強い。そういった気質や性格は、ぼく自身の中でも強く感じるところなのでよくわかる。
要は、時代の先を見るセンスがなく、個人主義が強いので、同業者でコミュニティを作って打開策を模索するといったこともなく、加速していく時代の変化にあっという間に取り残されてしまったのだ。
ぼくは、あちこちで町おこしの手伝いをしたり、地域資源の調査と活用についての提案を行ったりしているが、多様な地域と付き合っていて感じるのは、住む人の土地への愛着と展望が、地域おこしの成否を分けるということだ。
まず、仕事の手始めとして、古い寺社や遺跡などの構造を調べ、そこに太古から伝えられながら、忘れられてしまっていた歴史を見つけ出す。次に、その成果を発表する報告会を開くのだが、地域によって、関心を持って集まってくる人の多寡がまったく違う。
自分たちの住む土地に対する関心が高く、報告会にたくさんの人が来てくれた土地では、それをきっかけにして、土地の特性を活かした様々な試みに繋がっていく。ところが、こういったことにあまり関心がない地方では、とりあえず面白そうだから内田を呼んでみたけれど、何か具体的な解決策を示してくれるわけでもなければ、大きな企業を引っ張ってきてくれるわけでもないし、なんだかお金の無駄遣いだったなと、とたんに萎んでしまう。
あえて簡単にいえば、「当事者意識」があるかないかということだ。当事者意識を持つ人の多い地方では、内田の視点は面白いから、それを学んで自分たち主導でなんとかしていこうと、前向きに考えて、ぼくのことを当事者として巻き込んでいこうとする。ぼくとすれば、土地に秘められた歴史や古の人の思いを一緒に探る仲間ができるわけだから、その土地にどんどん愛着が湧いて、楽しくなってくる。
誰かが何かをしてくれると考えている当事者意識の薄い地方は、衰退する一方だ。それは、負のスパイラルだからなかなか抜け出せない。抜け出せないままに、街ごと、そして町ごと消滅してしまう。
当事者意識が薄いということは、そのまま個人の人生の盛衰にも当てはまる。自分が生きているこの世界の実相をよく見極めて、生きている「土地」への関心を失わず、人とのコミュニケーションが積極的な人は幸せな人生を送っている。
しかし、人生にはいろんな障害もあるから、時にはネガティヴになり、物事がうまく進まなくなることもある。そうした状況を社会や他人のせいにしたら、負のスパイラルに落ち込んでいく。困難に正面から向き合って、根気よく対処していけば、いずれ活路は見出される。
結局、町を生かし、活かすのは、そこに住む人の姿勢と心次第なのだろう。
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