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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.129
2017年11月2日号
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◆今回の内容
◯空海の人生の転換点と聖地
・遣唐使まで
・遣唐使から入京まで
・高野山へ
◯お知らせ
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空海の人生の転換点と聖地
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前々回、127回の冒頭で、四国八十八ヶ所の札所の多くが、大同二年に空海によって創建されたとする由緒を伝えていると書きました。
その後、急に空海のことが気になり、資料や年譜を辿り直していました。すると、空海にとって転機となる時期が何度かあったことは知っていましたが、それが彼の人生とともに日本の宗教シーンにとってもエポックメイクとなっていることをあらためて痛感させられました。
空海といえば、大学に入ったもののすぐに出奔し、私度僧となって山野を渉猟したとされる「謎の7年間」が有名ですが、遣唐使から戻った大同元年からの数年間もその足取りは謎であり、四国の大同二年創建の寺院由緒も事実かどうか定かではありません。
消息不明の時期もそうですが、空海は人生の大きな転機を何度か迎えています。その都度、彼はそれまで拠っていた聖地から離れ、新たな聖地に身を置きました。そして、新たな空海へと脱皮します。それは同時に日本の宗教シーンを大きく塗り替える転機ともなりました。
大学を出奔して野に消えたかと思うと、突然遣唐使として華々しく登場し、唐から帰国するなり雲隠れして息を潜め、都の情勢が変わるやいなや華々しく中央でスポットライトを浴びるようになる。さらに、天皇の信任も厚く、宗教界でトップとなって、まさに宗教人として絶頂にあるとき、紀伊山中の隔絶された辺境に、真言密教の道場を築き、すべてをここに移します。そしてこの高野の地で自らの死を悟り、鮮やかに入定していきました。空海の62年の生涯は、そんな極端ともいえる転機に彩られたものでした。
空海がユニークなのは、彼自身が転機を演出し、自らの人生のレバレッジとして、それを最大限に利用したことでした。今回は、空海の人生の転機を辿りながら、その度に拠点=聖地を変えたことの意味を考えてみたいと思います。
【遣唐使まで】
空海は讃岐の善通寺、現在の香川県善通寺市にある善通寺に生まれ、幼少時代をここで過ごします。善通寺の背後には「五岳山」と呼ばれる讃岐独特の風化した花崗岩の岩山が並び、古代から山岳修験が盛んでした。空海も幼少時からこの裏山で遊び、さらには修験行者としてのキャリアをスタートさせました。
空海は、この善通寺を守る佐伯氏に生まれましたが、佐伯氏はもともと東国の蝦夷のシャーマンの一族で、独特の自然観と言語感覚を持っていたとされます。そうした出自が、すでに空海が後に稀有な宗教人となる萌芽を孕んでいました。
空海は、後に『声字実相義』で、「五大にみな響きあり 十界に言語を具す 六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」と記し、声と字を含む言語そのものが本質を呼び込む力を持っていると考えました。そして、そのような力を持つ言語をマントラとみなしました。
地球は、シューマン共鳴と呼ばれる超長波の共鳴に包まれていることが知られています。これは海の波が空気を震わせる振動が地表と電離層の間で共鳴する音で、いわば地球の鼓動のようなものです。さらに、樹木も様々な周波数の振動を発していて、これは発話振動数に近似しているとされます。「五大にみな響きあり」とはこうした自然界を覆う波動的な本質を表す一句といえます。
この感覚は空海が後に身につけたものではなく、自然と濃密な共生関係にあった縄文の感覚を引き継いだ蝦夷の血に刻まれていた記憶といえるでしょう。その記憶を端的な言葉に著し、さらに真言=マントラとして、そして寺院や儀式の様式として表現し、ついには高野山という壮大な宗教空間を造営することによって表現し尽くすまでの衝動が真魚という少年にすでに内包されていたのではないかと思うのです。
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