昨夜は恵那山の麓で野宿した。夜半、凄まじい雷雨が続き、長い移動疲れでうとうとしているのに、稲光がまぶたを突き通して思わず目が開き、その後に続く落雷の地響きに体が飛び上がって、まるで寝かせてもらえない。
昔、北海道の旭岳の中腹でビバークしたときに、やはり同じような猛烈な雷雨に襲われたときのことを思い出した。あの頃は、二十歳になったばかりで、人生に大きな期待を持っていたので、ここで自分の短い人生が終わってしまうのかと怖くなったが、もはや終盤に差し掛かった身としては、今ここで落雷に打たれてもかまわないと居直っているので、「しかし、凄まじい雷雨だな」なんて長閑に構えていられる。
そのうち寝ることを諦めて、稲光の強さと地響きの強さに勝手なレベルをつけて、「今のは稲光が3で地響きは2だな」とか「今のは稲光はレベル4だったけど、地響きは6強だったな」なんて考えているうちに、眠りに落ちてしまった。
今朝は、4時半に目が覚めた。「夏至がついこの間で、この時間には明るくなっていたのに」と、夜の帳の中であっという間に過ぎた二ヶ月を思う。それでも、外に出て、空をじっと見上げると、高層の空に微かな明るさの兆しを感じて、かろうじてまだ秋にはなりきっていないんだなと安心する。ときおり冷たい霧が地表を渡り、それに洗われる毎に意識がはっきりしてくる。
コーヒーを沸かして飲み、ヘッドランプの灯りで本を読んでいるうちに明るくなった。
早々にキャンプを撤収して、出発する。
南下を開始してすぐ、丘陵の上にある萬勝寺に立ち寄る。ここは通称の「飯高観音」のほうが名前が通っている。天台座主三世慈覚大師・円仁作と伝えられる千手観音を本尊とする。千本の手を持って、あまねく衆生を救済に導くと信じられた千手観音信仰は、インドのシヴァ神やヴィシュヌ神をルーツとするけれど、いわゆる千手観音の体裁をしているのは、中国の一部と日本にしかない。飯高観音の千手観音は、慈覚大師作という由緒もあって、日本三大観音の一つに数えられることもある。東海地方では随一の厄除けの寺として有名だ。
当初は天台宗で、中世には隆盛を極めたけれど、元亀二年(1517)に、武田信玄の美濃侵攻の兵火で焼失。江戸時代初期に再興されて、臨済宗の寺院となった。一山が丸ごと寺域となっていて、往時の隆盛が忍ばれる。
山の中腹には、寺を囲むように大きな駐車場があって、休日はたくさんの参拝者が訪れることを想像させる。今朝はまだ早いために、ぼく一人しか参拝者はいない。参道も堂宇も、そして周囲の緑も、昨夜の雨に洗われ、まだ一様にしっとりとした露に包まれているので、すべてが一体化して感じられる。自分も昨夜の雨の洗礼を受けているので、その中に一歩踏み込んだだけで、風景の一部になったように感じられる。
さすがに臨済禅の寺院だけに、堂宇の造りも装飾も落ち着いていて、しかもさりげなく隅々にまで手が行き届いている。ただシンプルで無駄がないというだけでなく、空間の隅々にまで「気」が行き届いているという感じだ。
よく「断捨離」とか「生活をシンプルに」とかいうけれど、余計なものを捨てるだけでは投げやりなだけだ。捨てた後やシンプルにした後の空白部分に「気」を使わなければ、そこにまた「魔」が入り込む。
人間関係でも、嫌な人との付き合いをすっぱり断ち切るのは、その瞬間は気分がいいかもしれないが、同じようなメンタリティのままでいたら、また同じように嫌な人がその空白に割り込んできて、同じことの繰り返しになってしまう。
何かを省いたら、その省いた部分を別のもので埋めればいいというものでもない。
たぶん、省いたところにできた空白をじっくり見つめてみることが必要なんだろうなと思う。そこにあったものの残滓を感じて、どうしてそこに「余計」なものがあったのかを見つめることで、自分の弱さが見えてきたりする。
そして、できた空白はそのまま捨て置くのではなく、そこを「余白」として気を使うことで、今度は、そこに予想もしなかった仄かな喜びや満足感が芽生えることもある。
のんびりと境内を巡りながら、そんなことを考えていた。
掃き清められた石庭の渦の間にポツリポツリと可憐な花をつけた野草が伸び上がっているのが印象的だった。
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