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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.121 2017年7月6日号
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◆今回の内容
◯水と聖地 その2
・白馬の水と、水の不思議な特性
・大祓詞に見られる水の信仰
・弁財天と岩清水
◯お知らせ
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水と聖地 その2
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先日、長野県の白馬に行ってきました。ちょうど関東甲信越が梅雨入りしてすぐの日でしたが、梅雨入り宣言をあざ笑うかのような晴天に恵まれました。
白馬は、私にとってとても思い出深い土地です。高校時代に1ヶ月滞在した白馬学生村を皮切りに、登山に訪れたり、さらに10年前には風切地蔵の取材で何日も滞在し、白馬に多くの知己を得て、また頻繁に通うようになりました。通算で200-300日は白馬に滞在していると思います。
そんな馴染み深い土地ですが、先日この土地の自然が見せてくれた景色は、今までで一二を争う絶景でした。真っ青な空を切り取るように残雪豊富な白馬三山が屹立し、そこから流れる松川は、澄み切った水に溢れ、岸辺は新緑が埋め尽くしていました。松川に掛かる白馬大橋に佇み、川音を聴きながらこの絶景を眺めていると、ここが稀有なミネラルウォーターが湧き出す場所であることをあらためて思い起こさせてくれます。
【白馬の水と、水の不思議な特性】
3000m峰を連ねる白馬三山に降った雪は、春になって松川に流れ下るほかに、一部は伏流して、厚い岩盤に浸透しながら多くのミネラルを溶かし込み、松川が合流する姫川のさらに下部にある粘土層の下に潜り込んで貯留します。この粘土層は、姫川の水の浸透を妨げているので、長い年月をかけて白馬三山の岩盤に含まれるミネラルを溶かし込んだ水だけが溜まっています。さらに、このプール直下の大深度からは、フォッサマグナが産み出す「スラブ起源水」が地上に登ってきて、プールに溜まったミネラルウォーターと混合します。
スラブ起源水というのは、プレート境界で地殻がマントルの下に潜り込む際に、強大な圧力がかかって地殻に含まれていた水が絞り出されたもので、分子密度が高く、ミネラルを溶かし込みやすい性質を持っていると言われています。しかし、この水についての研究は端緒についたばかりで、その成分や性質はよくわかっていません。
そもそも水という物質そのものが、私たちのまわりにありふれたものであり、生体細胞のほとんどを占め、私たちの体はほとんど水で出来上がっているといっても過言ではないのに、その性質は謎だらけなのです。「水の密度が4℃で最大になり、それより温度が高くても低くても密度が小さくなるのはなぜなのか」、「個体の氷のほうが液体の水よりも密度が小さいのはなぜなのか」、「氷の冷熱(ものを冷やす力)は、いったいどこに蓄えられているのか」、「水が触媒として様々な物質を溶かし込むのはなぜなのか」……そういったことは、現代科学でも説明がついていないのです。最近になって、大型放射光施設"Spring8"を使った観測によって水分子の微細構造とメカニズムが判明し、ようやく水が持つ性質の謎の解明に道が見えてきたところです。
水は、ご存知のように酸素原子1個に水素原子2個がくっついた、化学式"H2O"で表される物質です。水素原子は原子核の回りを巡る電子を一つ持ち、これが負の電荷を帯びています。酸素原子は、原子核の回りに内外二つの電子軌道があって、その内側軌道に2つ、外側に6つ、計8個の正の電荷を持った電子が回っています。水=H2Oは、酸素の外側軌道の電子と水素電子が引き合って、酸素原子1個と水素原子2個が結びつきあったものです。このとき、結びつきあった電子は複合された電子軌道上を回るようになって強い結合力が生まれます。水素原子と酸素原子が電子を共有するように見えることから、これを「共有結合」と呼びます。
水の分子が面白いのは、酸素原子1個と水素原子2個が共有結合で結びついて水の分子が一個できるだけでなく、さらに分子どうしに引き合う力が働いて、1個の分子の回りに4個の分子が結びついて「水クラスター」という状態を作りだすことです。この水クラスターを作り出す力は「水素結合」と呼ばれますが、水素結合は力が弱く、水クラスターは様々な作用によって分解したり再びくっついたりします。「高密度水」といった商品をみかけますが、これは水クラスターが分解されて、水分子の密度が高い状態になっている水ということのようです。しかし、水クラスターを分解しても、水分子はすぐにまた水素結合を起こす性質があるので、高密度の水分子の状態を維持するのは難しいようです。
最近の地球物理学の研究では、地球マントル深部の超高温高圧環境で、鉄+水+酸素からなる安定な水酸化鉄の存在が確認されています。地下1700kmという途方もない大深度に水が存在するというだけでも驚きですが、さらには、マントルにも水分が含まれているという研究結果もあって、先に挙げたスラブ起源水などとともに、今後、水が持つ様々な特性が発見されていくことでしょう。白馬の大深度地下にある水も、今までになかった水の特性を秘めているのかもしれません。
【大祓詞に見られる水の信仰】
この講座の第41回「水と聖地 その1」では、世界各地の水に関わる信仰を紹介しました。
聖女ベルナデッドが聖母マリアのお告げによって見つけたとされるフランスのルルドの泉の水は、難病を治す力があるとされています。インドのガンジス川の水はシヴァ神の体に触れた水で、この水で沐浴すれば、すべての罪と穢が洗い流されると信じられています。
日本では、左手に水瓶を持つ十一面観音が水を象徴する仏とされ、水による浄化と水の恵みをもたらすとされています。白山を開いた泰澄は、白山の神を九頭竜権現と菊理媛(くくりひめ)であるとして、十一面観音をその本地仏としました。白馬三山と同様に、冬は雪に覆われ、春になると麓に水の恵みをもたらす白山に水の神と仏の姿を見たのでしょう。また、この講座で何度も紹介している若狭お水送りと奈良お水取りという対の祭りは、不老不死の妙薬としての水銀を含んだ水を若狭から奈良へ送り、東大寺二月堂の十一面観音に供える儀式であり、やはり十一面観音信仰に結びついています。
それらの詳細はバックナンバーを参照いただくとして、日本における水の例をもう少し見てみましょう。
以下は、神道で唱えられる祝詞の一節です。「……高山の末。低山の末より。佐久那太理に落ち多岐つ。早川の瀬に坐す。瀬織津比売と伝ふ神。大海原に持出でなむ。此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す。速開都比売と伝ふ神。持ち加加呑みてむ。此く加加呑みては気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神。根国底国に気吹放ちてむ。此く気吹放ちては根国底国に坐す。速佐須良比売と伝ふ神。持ち佐須良比失ひてむ此く佐須良比失ひては。今日より始めて罪と伝ふ罪は在らじと。今日の夕日の降の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を諸々聞食せと宣る」。
意訳すると、「(私たちの罪と穢は神々によって運ばれ)高い山低い山を問わず、その麓に滝とともに流れ落ちます。そして、早川の瀬にいる瀬織津比売(せおりつひめ)という神が、川から大海原へと押し流してくれます。大海原には速開都比売(はやあきつひめ)という神がいて、罪と穢を飲み込み、大海原へと吐き散らしてくれます。そのように吐き散らされた罪と穢は、今度は、黄泉の国の出入り口にいる気吹戸主(きぶきとぬし)という神が吸い込んで、それを黄泉の国に吹き放ちます。黄泉の国には速佐須良比売(はやさすらいひめ)がいて、これを受け取ると、さらに無限の広がりを持つ黄泉の国に拡散します。すると、罪と穢は無限の広がりの中に拡散して、ついには消え失せてしまうのです。今日の大祓を機に、罪という罪は消滅するということをどうぞ神々よ聞き届けてください」といった内容になります。
神道の根幹ともいえるこの広大な宇宙観は、私の大好きな部分です。この大祓詞の冒頭に出てくる早川の瀬織津比売は、川から海へと水の流れを端的に表す女神です。「早川の瀬に坐す。瀬織津比売と伝ふ神」という一文で、「白く波立つ瀬がいくつにも重なって流れる速い川」という川の様子の描写になっています。それは、屹立する白馬三山から一気に流れ落ちた水が、白い瀬を作りながら流れる松川そのものです。白馬三山から流れ下る松川は、すぐに姫川と合流して糸魚川で日本海に注ぎます。まさに川から「大海原に持出でなむ」というわけです。
海に流れた水は大海原に広がって拡散し、今度はそれが蒸散し、雲となって再び地上に降り注ぐ、そして再び川の流れとなって海に注ぐ……そうした水の循環の物語が「大祓詞」です。また、水があらゆる罪や穢を取り込んで流し去るというイメージは、水が強力な触媒として様々なものを溶かすという性質を物語っています。罪や穢が溶け込んだ水は、いわば汚染水ですが、逆に多くのミネラルを溶かし込んだ水は、恵みの水です。それをもたらしてくれる存在として、日本人は「水分神(みくまりのかみ)」を想像しました。山や尾根によって分けられた水流は、くまなく麓にもたらされる。そうした万遍なく恵みをもたらしてくれる神を水を分けてくれる神として崇めたのでした。
ちなみに、糸魚川は先年国石に指定された翡翠の一大産地で、糸魚川産の翡翠は、縄文時代から祭祀の際に身につける呪具として使われ、朝鮮半島にまでもたらされていました。翡翠はフォッサマグナの造山運動によって生成される蛇紋岩に多く含まれています。姫川やヒスイ海岸で採れる翡翠は、松川やその上流の姫川に注ぐ支流から流れ下ったもので、白馬三山とそれに連なる後立山連峰は、翡翠の母でもあるわけです。フォッサマグナはスラブ起源水を生み出す元でもありますから、稀有な水とともに稀有な貴石も生み出していることになります。
もしかすると、翡翠が、罪や穢を祓う力が非常に強力な水がある場所に生成されることから、縄文人たちは、翡翠こそが浄化力の源と思って、呪具として用いたのかもしれませんね。
【弁財天と岩清水】
ところで、水の神、水の聖地というと弁財天も思い浮かびます。琵琶湖竹生島の宝厳寺、神奈川江ノ島の江島神社、広島の厳島神社は、いずれも水に囲まれた島や海辺に位置しています。
奈良県吉野にある天河神社も弁財天を祀る有名な神社ですが、ここは熊野川の源流近くに位置しています。天河神社の背後は近畿でも有数のブナ林があって、紀伊半島の豊かな降水は、ブナの保水力によってたっぷりと蓄えられます。それが地下に浸透し、天河神社の境内に清冽な湧水となって現れるわけですが、それは社殿の下にある巨大な磐座の真ん中に開いた穴から湧き出しています。地下から湧き出す水が、何万年、何十万年もかけて岩盤を下側から溶かし、ついにはそれを突き抜けて地上に湧き出したものです。それはまさに水が秘めた神秘的な力が生み出したものであり、この水を聖なるものとしてご神体に祀り上げた古の人たちの気持ちがよく理解できます。
天河神社では、ここで空海が強力な霊気を感じ取り、七千座の護摩を焚いて、その護摩の炎の中で灰練りの弁財天を焼き上げたと伝えられていますが、空海もまた水と深い関わりを持っています。空海にまつわる伝説が全国に数多くありますが、その多くは空海が地上に錫杖を突き刺したところから水が湧き出したというものです。こうした伝説も、特別に浄化作用が強いと感じられる水が、空海という人物の伝説的な超人性を連想させ、結び付けられたものでしょう。
弁財天を祀ってあるところでは、お金を洗う光景がよく見られます。鎌倉の銭洗弁天などは大勢の参拝客がお金を洗う順番を列を作って待っているほどです。こうした風習も、特別に霊力の強い水があるという印象がもたらしているのでしょう。水の浄化作用という点から考えると、マネーロンダリングの効果を期待している人も一部いるかもしれませんが(笑)。
天河の水が大きな磐座を突き抜けて湧き出すように、他にも磐座を突き抜けて水が湧き出し、それがご神体とされるようになった聖地があります。
鴨川と宇治川、そして木津川が合流して淀川となるその場所には、石清水八幡宮があります。「岩清水」の名が示すとおり、ここも巨大な磐座を突き抜けた水が湧き出す聖地です。ここで合流する三川の沿岸には、いずれも有名な聖地が並んでいて、それぞれの川自体をご神体とする信仰があります。多くの聖地を繋ぐ三つの川が合流する場所というだけでも重要な聖地となる要素を備えているわけですが、これに磐座から湧き出す水が加わることで、岩清水八幡宮はより強力な聖地性を帯びることになったわけです。
八幡宮と名のつく神社や祠は、全国に4万4000社を数えるといいます。その八幡宮の総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮ですが、鎌倉の鶴岡八幡宮や福島県いわき市の飯野八幡宮をはじめとするほとんどの八幡宮のご神体は、宇佐神宮ではなく岩清水八幡宮から勧請されています。それは岩清水八幡宮の聖地性が非常に強力であるという認識が全国に広まっていたことを示しています。とくに、鎌倉幕府以降、武家が八幡信仰を全国に広めましたが、彼らが信仰したのは石清水八幡宮でした。
石清水八幡宮から淀川を挟んだ対岸には水無瀬神宮があります。ここは、承久の乱で隠岐に流されそこで不遇の死を遂げた後鳥羽上皇が、離宮を置いて愛していた場所でした。後鳥羽上皇は、とくにここに湧き出す水を愛でていたと伝えられています。その水は、今でも「離宮の水」として親しまれています。この離宮の水の源を辿ると、サントリーの山崎蒸留所があります。後鳥羽上皇が味わった甘露は、今の私たちが高級ウイスキーとして味わっているわけです。
余談ですが、水無瀬神宮を擁する島本町には、諏訪神社があって、元宮である諏訪大社の前宮と同じ御頭祭が伝わっています。なぜこんな離れた場所に、諏訪でももっともプリミティブなこの祭りが伝わっているのか、俄然興味が湧きます。これは、また別に調査してまとめるつもりです。
磐座と水にまつわる聖地は他にもあります。
東北修験のメッカともいえる出羽三山修験は、月山、羽黒山、湯殿山の三山を舞台にして修験道のもっとも古い形を伝えています。その三山の一つ湯殿山のご神体は巨岩で、その写真を撮ると祟りに触れるとして禁止されています。また、古来、その神域で体験したことを人に語ってはいけないとも言われ、松尾芭蕉も「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」という句を残しています。
芭蕉が「湯殿」と詠んだのは、湯殿山の名の由来ともなったご神体の岩に湧き出す温泉のことです。天河神社や石清水八幡宮が巨大な磐座から水が湧き出しているのに対して、湯殿山では温泉が湧き出しているのです。芭蕉は、湯殿山の稀有なご神体と向き合うことが悲願だったのでしょう。そして、それが叶った時、思わず漏れた涙を袂で拭い、それを詠んだわけです。
水という物質そのものがまだ謎に満ちているだけに、水に関わる聖地は、まだまだその神秘性を保ち続けていくでしょう。いや、逆に、水が持つ特別な性質が解明されれば、さらに水の聖地の価値は増していくかもしれません。
**関連記事(聖地学講座バックナンバー)**
vol.17 若狭お水送りと不老不死伝説再考 http://www.mag2.com/archives/0001549333/2013/
vol.28 水銀と聖地 http://www.mag2.com/archives/0001549333/2013/
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