20歳のとき、北海道をキャンプツーリングしているときに知り合った一回り少し歳上のMさんという友人がいる。
Mさんは、旭川の出身で、戦後のどさくさのときに両親と死に別れ、知人に託されて育てられた。その育ての親が亡くなったので、仕事を辞めて、250ccのオートバイにキャンプ道具を載せて日本中を巡り、親が見たことのない日本中の風景を墓前に手向けようと各地で撮った写真を携えて、生まれ故郷に戻ってきたところだった。
ぼくも、18歳の時に目の前で父を亡くし、旅をしながら、なんとなく父の魂と同行二人のようなつもりでいたので、Mさんとは妙に気が合って、しばらく一緒にキャンプしながら北海道を巡った。
キャンプサイトでMさんがテキパキと毛ガニの身を外してくれたり、小さなコッヘルで器用にジンギスカンを作ってくれたりして、酒を飲みながらそれを突ついていると、少し歳の離れた兄貴と、それに父の魂も一緒にそこにいて、酒を酌み交わしているような気分になったものだった。
父はぼくが未成年のときに逝ってしまったので、直接一緒に酒を飲んだ経験はないが、そのときは、ほんとうにそこにいるような気がした。
あれから36年、Mさんとはずっと付き合いを続けている。
Mさんは亡くなった両親の弔いを済ませた後、東京に戻って、元の配送の仕事を10年あまり続け、その後、一時秋田で養鶏場の仕事などした後、長野県の山村に移り住んで、年金暮らしをはじめた。
長野の自宅は仮住まいのようなもので、軽自動車を改造した自作のキャンパーに愛犬を載せて、気ままに日本中を旅していた。
先日、しばらくぶりに電話で話すと、愛犬が亡くなり、今は一人で旅をしているとのこと。「俺ももう70歳だよ。クロもいなくなっちまったし、もうこの世に未練になんてないから、コロッといけばいいと思っているのに、体だけは頑丈だからなぁ。育ての親は体が弱かったのに、産みの親はよほど健康だったんだろうな」と、どことなく寂しそうに笑っていた。
Mさんと話した後は、いつも種田山頭火が思い浮かぶ。Mさんは句を詠んだりしないし、山頭火のような破滅的な性格でもないが、「漂泊」という点で、同じような指向で生きてきたんだなあと思うのだ。
長い付き合いなので、Mさんの様々な経験も知っている。あるとき、旅先で知り合った女性と親密になって、「俺も50を過ぎて身を固めることになるとは思わなかったよ」と嬉しそうに話していたのに、しばらくして会うと、引きこもって酒に溺れていたこともあった。
もちろん、彼の楽しい経験もたくさん知っている。
彼が経験したこと、見てきた風景や人、そんなことを句でも文章にでもできたら、人の心にしみじみと染み込むものになるだろうな……と思いつつも、それは、彼の心の中で、彼だけの句であってもいいのだろう。人生は丸ごと物語であり、それはすべて個々の人間の心に刻まれていればそれでいいものかもしれないから。中でもMさんの人生は、慈愛に満ちた目で世の中を見つめ続けてきた物語だから。振り返ったときに彼が満足できればそれでいいのだろう。
先日の電話では、8月の後半は、昼神温泉の近くの駐車場に車を止めて、しばらく滞在しているとのことだった。
Mさんは人懐こい性格で、面倒見がいいので、どこに行ってもすぐにたくさんの友だちを作ってしまう。昼神温泉でも、宿の主人や近隣の農家の人と仲良くなって、夜はどこかしらの家に呼ばれて酒盛りしているようだ。「内田くんも取材の途中にでも寄ってくれよ」と、昼神温泉が、さも自宅のような言いぶりに、Mさんらしいなと、電話口でつい笑みが浮かんだ。
久しぶりに、少し歳の離れた兄貴と、北海道でのキャンプを思い出しながら酒盛りしよう。お盆が近ければ、また父の魂も寄り添ってくるだろうから。
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