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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.115
2017年4月6日号
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◆今回の内容
◯人と大地との感応
・地霊=ゲニウス・ロキを感じるということ
・地霊=ゲニウス・ロキを具象化した僧
◯お知らせ
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人と大地との感応
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3月は5週ありましたので、今回は前回の配信から3週間ぶりとなります。この間、福島県いわき市での講演会とツアーを皮切りに、四国での調査、富士河口湖町でのミーティングと調査、さらに東京に戻ってのセミナーと、久しぶりにタイトなスケジュールで動いていました。
友人たちから、「このところ忙しそうだね」とSNSなどでメッセージをもらい、「レイラインハンターは、春分秋分、夏至冬至が忙しいんだよ。その間だけの稼ぎで一年暮らせたらいいんだけどね」なんて軽口の返事をしていました。
それはともかく、あちこちで神社仏閣や遺跡などの「聖地」を見直して、観光資源として活かすお手伝いをしていて、数年前と今では地域の人の意識が変わってきているのを感じます。
以前は、地元の関係者の方々と話をするときに、「観光客を呼ぶ算段をはじめる前に、まず自分たちのまわりにある聖地に込められた意味を知って、それを誇りに思うことが大切です」と切り出すのが常でした。ところが、最近は、地元の人たちのほうが、はじめから郷土の歴史や文化を知って、それを誇りに思えるようになりたいという意識を持って、私に声をかけてくれることが多くなってきたのです。
さらに、聖地調査の依頼を受けてレポートをまとめるというだけでなく、地元の人との共同作業として聖地を調べ、その結果を郷土の歴史と突き合わせ、一緒に意味を考え、ツアーやものづくりにどう活かしていくかというところまで一緒に練り上げていくというスタイルになってきています。
来週には、福島県いわき市の郷土史研究会から聖地調査の方法と活かし方についての講演があるのですが、そこで演台に立つのは私ではなく、私と一緒に2年間聖地を巡り、一緒にさまざまな企画を進めてきたいわき観光ビューローのK氏とI氏が行うことになっています。彼らは、私がいなくても独自に調査や取材を進め、SNSで「いわきレイライン調査隊」というグループを立ち上げ、市民を巻き込んで、楽しく盛り上げてくれています。そのような形で、私のノウハウを活かしてくれる地元の人たちが増えてゆき、地元の歴史と文化に誇りを持って自慢できるようになれば、「聖地観光」が根付いていきます。そんな動きが、全国に広がりはじめていることに喜びを感じています。
【地霊=ゲニウスロキを感じるということ】
この講座でもテーマに取り上げたように、私は「土地に呼ばれる」という意識を強く持っています。全国各地の聖地を巡り、その場所に記されたメッセージを読み解く作業をかれこれ20数年続けてきていますが、はじめのうちは、これは自分の趣味であり、好きな場所を主体的に選んで動いているのだと思っていました。ところが、いつしか、自分が主体的に動いているというよりも、各地の土地に宿る「地霊=ゲニウス・ロキ」に呼び寄せられているのではないかという感覚が強くなってきました(聖地学講座第14回『聖地に呼ばれるために』)。
遠方の短波放送ラジオにチューニングして放送を楽しむ無線愛好家とその楽しみ方を"BCL(Broadcasting Listener)"といいますが、「土地に呼ばれる」というのは、BCLではるか海の彼方のラジオ局から発せられた電波を微妙なチューニングで捉えるような感覚ともいえます。遠い土地の「地霊=ゲニウス・ロキ」が発する信号に同調し、さらにナビゲートされてそこに向かうような感覚です。
宗教学者の鎌田東二は、彼を聖地に向かわせるのは、やはり地霊(彼の言葉では『場所の記憶』)だと記しています。「…かすかな月明かりをたよりに仮殿に近づいていって型通りの拝礼をすます。だがわたしがほんとうに参拝したいのはここではない。元の本殿があった『場所』なのだ。仏像や神像が大事なのではない。問題は『場所』なのだ。『場所』は記憶を持っている。そう私は思ってしまう。そうした『場所の記憶』のありかを人は『地霊』と呼ぶかもしれない。しかしかりに『場所の記憶』をもつモノが『地霊』だとしても、その『地霊』は『一霊』や『二霊』の数ではない。『聖地』や『霊場』であればあるほど、そこには幾層もの『地霊』が、というよりも、もっと適切には幾層もの『場所の記憶』がつまっているのだ…」(『神界のフィールドワーク』より)。
私が「地霊=ゲニウス・ロキ」として意識しているのは、長い歴史の間にその場所に積み重なってきた雰囲気のようなものですから、基本的に鎌田がイメージする「幾層もの場所の記憶」と同じです。さらに、私は、地霊の波動とも呼べるようなものが聖地を起点にしてさざ波のように広がり、地域そのものの雰囲気を醸成しているとも思うのです。
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