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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.108
2016年12月15日号
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◆今回の内容
◯冬至と太陽信仰 その3
・朝鳥明神
・三内丸山遺跡と真脇遺跡の木柱列
・ご来光を拝むということ
◯お知らせ
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冬至と太陽信仰 その3
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先日、富士河口湖町の聖地調査に行ってきました。富士五湖のうち、山中湖を除く四つの湖が行政範囲に含まれる広い町ですが、そのうちのとくに河口湖沿岸の神社仏閣を中心に一日巡りました。
空気が澄んで、今まで見たことがないような富士山の優美な姿が間近にあって、あらためて富士山が「霊峰」と呼ばれる意味を実感しました。河口湖沿岸から見ると、富士山は真南にあって、太陽は富士山を中心に巡っていきます。そして、南中の太陽は必ず富士山頂の上に掛かり、太陽と富士山が揃って地上を見守っているように感じられます。
河口湖沿岸の聖地はその多くが富士山を向くか、あるいは背負っていますが、このロケーションにあれば、富士山を神聖視して風景に取り込みたくなる気持ちがよくわかります。一方、富士山はしばしば荒々しい噴火を繰り返してきましたので、それに出くわした人々は、なんとか怒りを鎮めてほしいと切実に願い、その「畏れ」の気持ちもこの風景は表しています。
日本最高の神聖なロケーションの中にあるといってもいいこの地域は、心を洗われる清々しさと自然に対する畏怖を呼び起こす厳粛さとが合わさった、独特のゲニウス・ロキに包まれています。
富士山は徐福伝説では「蓬莱山」に比定されていたり、名前の由来が「不死」や「不ニ」であるといった言い伝えもあります(「富士」という漢字は、地名に好字を当てることを定めた延喜式の『好字令』によって当てられました)。また、江戸期には修験道から発展した「富士講」という独特の信仰が盛んでした。富士山の聖地性を紐解いていくと、面白い話がたくさん浮かび上がってきます。
そうした富士山の話はまた別な機会に紹介するとして、今回は前回に引き続いて冬至と太陽信仰について触れてみたいと思います。
【朝鳥明神】
岐阜県の西部、揖斐川の沿岸から少し入った山間に「朝鳥(あさどり)明神」と呼ばれる不思議な場所があります。田のあぜ道から鬱蒼とした里山に吸い込まれるようにして進むと、薄暗い森の中に二本の柱にしめ縄を渡しただけの原始的な鳥居が現れ、その奥には小さな祠が鎮座しています。
その祠の前まで行くと、背後は斜面になっていて、そこには、半分土に埋まった半球状や円錐状の岩が点在しているのがわかります。岩にはしめ縄が巻かれ、暗い森の中で点々と浮かび上がるその姿は、得体の知れない生き物のように見えます。
梅原猛は縄文時代の信仰を「デュオニソス的」と形容しました。明るく明確な形象を指す「アポロ的」に対して、情念的で混沌とした一種不気味な形象を「デュオニソス的」と言ったのはニーチェですが、それを受けてシンプルで明暗のはっきりした弥生的な文化をアポロ的なものとして位置づけ、それに対して善悪や明暗を分けず情念を生のまま表出させたような縄文的文化を梅原はデュオニソス的と形容したのです。この朝鳥明神はまさにそんなデュオニソス的な雰囲気に包まれています。ここは、いわゆる磐境(いわさか)で、縄文時代にまで遡る巨石信仰をそのまま伝える場所なのです。
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