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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.107
2016年12月1日号
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◆今回の内容
◯冬至と太陽信仰 その2
・古代エジプトの冬至と太陽信仰
・古代北南米の冬至と太陽信仰
◯お知らせ
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冬至と太陽信仰 その2
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今日から師走ですね。2016年もあと一ヶ月です。
歳をとるほどに時間の経過が早く感じられるようになって、一年があっという間に過ぎてしまいますが、ただ時の流れの速さに圧倒されないためにも、春分秋分や冬至夏至など区切りとなる節には、それを意識して心を新たにし、しっかり地に足を着けて生きていきたいですね。
今月21日は冬至です。この日は、東京の港区にある㈱トータルヘルスデザイン主催のセミナーで、レイラインと冬至に関する講座と、その後近くの芝公園にある愛宕山で冬至の入日を指し示すいろいろな記号を巡るフィールドワークを行う予定です。その前の週末17日は、横浜の朝日カルチャーセンター横浜教室で冬至をテーマにした講座を開きます。また、23日には福島県いわき市で冬至のレイラインを確かめるバスツアーの予定。個人的にはたっぷり冬至を堪能できそうです(笑)。
今回は、冬至を前に「冬至と太陽信仰」について触れてみたいと思います。
この講座の第12回では、「冬至と太陽信仰」という同じタイトルで、クリスマスの元となった古代ヨーロッパの冬至祭と東洋の星供(ほしく)や朔旦冬至などを紹介しましたが、今回はエジプトと北南米の太陽信仰と冬至の位置づけを考察してみましょう。
【古代エジプトの冬至と太陽信仰】
エジプトのカイロ郊外、ギザの台地の上には三つのピラミッドが建ち、その東側にはピラミッドを守護するかのようにスフィンクスが街のほうを睥睨しています。このスフィンクスの向きは真東です。ピラミッドも四角錐の四面を東西南北に向けているので、スフィンクスの背後にはピラミッドの東面が並ぶ形になっています。
「スフィンクス」は古代ギリシア語の「スピンクス」の英語読みで、ライオンの身体に美しい人間の顔と豊かな乳房のある胸と鷲の翼を持つ怪物を意味しています。ピラミッド内部にはその歴史を記した象形文字の碑文「ピラミッド・テキスト」がありますが、ここには、古代エジプトの古王国時代(BC2680頃-2180頃)のエジプト人はスフィンクスを「ルーキー」と呼んでいたと記されています。「ルーキー」とは「西側に輝くもの」という意味で、春分秋分の朝日が東から昇ると、スフィンクスとその背後のピラミッドを正面から照らし、輝かせることを物語っています。かつてピラミッドは外壁が真っ白な大理石で覆われていましたから、まばゆく輝くピラミッドを背景に、自らも浮き上がるように朝日を反射するルーキーはひときわ目立ったでしょう。
ピラミッド・テキストには、「春分の朝日は牡牛座の『家』に夜明けまで留まっていた」と記されています。未明の東の空にまず目につくのは牡牛座で、それを背負って春分の朝日が昇り、しばらくは牡牛座の輝きも認められたわけです。
コマが回転するときに中心軸からブレて動くように、地球の自転軸も中心軸からブレて動いています。正確にいうと、地球の自転軸は、黄道面に垂直な線のまわりを周期約2万5800年で一周する首振り運動をしています。これを歳差運動と呼びます。この歳差運動のために、長い年月の間に星座の位置はズレていきます。
BC2200年頃、それまで春分の朝日の背後に見えていた牡牛座は見えなくなります。この頃、古代エジプトの古王国は崩壊し、中王国に統合されます。そして、「ルーキー」は「ホル・エン・アケト」と呼ばれるようになります。「ホル(ホルス)」は太陽、「エン」は居る、「アケト」は地平線で、「地平線に居る太陽を観るもの」という意味です。スフィンクスは真東を向いて春分秋分の朝日と相対するだけでなく、真東を中心にして北東の夏至の朝日と南東の冬至の朝日まで見渡していますから、一年に渡って太陽が地平線から昇るのを観ているわけです。その名は、文字通りスフィンクスの機能を言い表しています。
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