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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.91
2016年4月7日号
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◆今回の内容
1.縄文の聖性
・ハラの聖性
・炉の聖性
・奥壁の聖性
2.お知らせ
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縄文の聖性
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日本列島には太古から人が住んでいました。3万年前から1万5000年前の旧石器時代には、北海道から九州まで広く分布して、採集狩猟生活を営んでいたと考えられています。その痕跡は1万ヶ所以上にものぼり、温暖な気候に恵まれていたことを物語っています。
その旧石器時代の終わり頃、人類は定住をはじめます。そして、洗練された道具を使う新石器時代に入っていきます。日本では「縄文時代」として分類される独特の文化に彩られた時代が始まります。
今の私たちは、縄文時代といえば、自然と共生して穏やかに暮らしていた平和な時代だというイメージを持っていますが、もちろん争いや戦争がまったくなかったわけではありません。争いによって死んだ人の骨も発見されていますし、女性や子どもも含めた大量殺戮の跡もあります。しかし、1万5000年前から2000年前まで1万3000年に渡って続いた縄文時代の気の遠くなるようなタイムスパンを考えれば、戦いの痕跡はごくわずかといえます。弥生時代から現在までの歴史と比べれば、縄文時代は平和な時代であり、弥生以降は戦いと殺戮の時代が続いてきたといっても過言ではありません。
梅原猛は、また別の観点から縄文時代をとらえています。彼は、人々が深い精神生活を営んでいた時代であり、それは「日本精神」の基層を成していると主張します。
梅原は、日本のアイヌや世界各地の自然と共生する民族の生活風俗を参考に、縄文人たちの精神生活を類推しました。自然と共生する民族が、今でも万物に魂が宿ると考えているように、縄文人たちも、自分たちを取り巻く自然の中に存在するもの全てに魂が宿ると考え、また霊的な世界と現実の世界を隔てる垣根もなく、動植物の魂や亡くなった人の霊や神といつでも交感できるチャンネルを持っていた。その精神世界は深く広く、豊穣なものだったろうというのです。
「縄文」の名のもとになった独特の土器の意匠には、実用品を越えた霊的なものを表現する意図がはっきりしています。アイヌがイヨマンテ(熊送り)の儀式によってカムイ(神)と交信したように、「イルカ送り」の儀式が行われた形跡が石川県の真脇遺跡で発見されてもいます。
縄文文明は日本列島全土で栄えました。ところが、2000年前に大陸や朝鮮半島から弥生人となる渡来民が押し寄せると様相が一変します。渡来民が定着して弥生人になると、農耕民である彼らは自然を切り開き、食料を大量生産して富を蓄え、膨張してゆきます。畿内を中心に周囲の縄文人たちを制圧しながら範図を広げ、ついには日本列島の先住民である縄文人は北海道の一部と琉球(沖縄)に残るのみとなりました。
しかし、弥生人は縄文人を根絶やしにしたわけではなく、長い年月のうちに混血してゆき、現代の私たちの血の中にも縄文人のDNAは受け継がれています。
功利主義が蔓延り、自然破壊と格差社会となってしまった今、俄然、縄文時代が注目されるのは、私たちの血の中にある縄文のDNAが自然と共生し平和に暮らしていた過去を思い出せと訴えはじめたからなのかもしれません。
聖地の調査をしていると、たくさんの縄文遺跡に出くわします。中には、今ある神社が縄文遺跡の上に建てられていたり、あるいは境内に縄文遺跡が残されていたりするケースも多く、いかに縄文文化が日本の国土に浸透していたかがわかります。
そうした縄文遺跡の多くは祭祀遺跡でもあり、二至二分(夏至冬至と春分秋分)の太陽の出没に合わせて設計されていたり、あるいは特定の日の天体の運行をトレースするような配置になっています。
そんな場所では、太古に縄文人たちが目にしていた光景を今でも見ることができます。冬至や夏至の日の出もしくは日の入りの方角を神社の参道が向き、参道の先から太陽が登ったり沈んだりする光景は、まさに縄文の遺産なのです。縄文人たちはその光景を拝み、大自然に対する畏敬の念を抱くとともに、自分たちもその自然の一部であることを実感していたのでしょう。また、その瞬間に霊界とのチャンネルが開かれ、先祖や神と交感できると考えたのでしょう。
そんな光景と対峙すると、自分の内に眠る縄文の心が目を覚まし、縄文人たちの魂が傍らにあって、一緒にこの光景を噛み締めている気がしてきます。そして、縄文の精神を思い出すことが、今の逼塞した社会をブレークスルーために何としても必要なのだと確信させられるのです。
前置きが長くなりましたが、今回は、縄文の歴史を振り返りながら、その精神がどのように醸成されたのか考えてみたいと思います。
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