昨日は冬至の夕暮れを伊豆下田の白濱神社で迎えた。
この神社は参道が夏至の日の出と冬至の日の入を結んだ線に沿い、本殿から見ると、冬至の太陽は参道の先に沈んでいく。縄文時代は太陽信仰が盛んだったことがわかっているが、白濱神社本殿の裏手には縄文の祭祀遺跡である火達山遺跡があり、今の神社もその形態に太古の信仰を受け継いでいることがわかる。
昨日の写真と昨日が19年に一度の「朔旦冬至」に当たるといった話は、フェイスブックのレイランプロジェクトのほうに掲載した。https://www.facebook.com/leylineproject
太陽信仰では、冬至は一年の終わりでありまた初めの一日とされた。この日、太陽が死んで、翌日再生する節目の日だらだ。そんなことを意識して拝んだ今朝の朝日は、昨日までの衰えていく太陽とは違って、活力を取り戻したような気がした。
季節の循環を流れていく時間の指標とすると、心身の感覚にとてもよくマッチする。人間は、本来とてもセンシティヴで、環境の微細な変化を捉えている。いつも何かに追い立てられている現代人は、そのことを忘れてしまい、季節や環境の変化を捉えることができなくなっている。そこには、様々な歪みが生じる。
聖地と呼ばれるような場所は、そうした季節や環境の移ろいをはっきりと味わえるような場所であり、また人工物があれば、人がはっきりとそれを感知できるように設計されている。
昨日の白濱神社のように、季節の変わり目をはっきりと伝えるという聖地が設計された意図を理解して、その瞬間にその場に居合わせることで、心身はリセットされる。せめて、年に一度でもリセットできれば、都会にいても時々、空を見上げて、太陽の力を感じたり、月の満ち欠けや星の動きを意識して、自分が宇宙のリズムにシンクロしていることを確認するようになれる。
今日の夜空には、新月から一日経ったカミソリのように鋭利な月が夜空にあった。
太陽も月も刷新された今日から、新たな気持ちで、新たな年を刻んでいこうと思う。
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