誰もいない乗換駅のホームで、コートの襟に首を埋め、長い間電車を待っていた。
寒さで手がかじかんでしまうので、本を読むこともできず、ぼんやりと駅を取り巻くようにして建つベッドタウンの家々の明かりを眺めていた。そのうち、ふと、自分はいったいどこへ行こうとしているのだろうと思った。
日帰りにしては長旅の帰路にあって、自宅に向かっているのだが、今住んでいるところが本当に「自分の家」なのかどうかがわからなくなる。家賃を払い公共料金も払って、そこで食事をし、フリーランスとしての仕事もしているのだから、そこが一般的な意味での自宅には違いないのだが、そこが自分の帰るべき場所なのかと考えると、自信が持てなくなる。このまま逆方向の電車に乗って、見知らぬ土地へ運ばれていって、それで何の不都合があるのだろう……と。
この世からひっそりと消えて行方知れずになる人の多くは、こんなふうに、自分が帰るべき場所がわからなくなって、反対方向の列車に飛び乗ってしまった人たちなのかもしれない。
南の島の漁師たちは、月夜の晩に漁に出るときに、自分を現実に引き戻すための「何か」を必ず持って海に出るのだという。その何かは、妻や子供の髪の毛であったり、やはり妻や子供の着物の切れ端を撚って作ったミサンガのような輪だという。
海の上で見る月に酔いしれて、自分が帰るべき場所を失ってしまいそうになった時、そうした「何か」を握ることで現実を思い出し、家族の元に帰っていける。
そんなことを思い出し、空を見上げる。
月は出ていなかった。その晩は新月だった。
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