いまさらながら、自戒の念を持ちながら「丁寧に生きる」ということを考えている。
丁寧に生きるとは、ひとつひとつの物事に丁寧に取り組んで生きるということ。誠実に生きるということでもあるけれど、誠実さは意識する姿勢であって、丁寧は必ずしも意識はともなわない習い性ともいえるようなスタイルも含んでいる。
もう半生というか、カウントダウンに入った年齢にもなって、今までの自分の生き様を振り返って、あまりにもガサツで丁寧さとは程遠い生き方をしてきたことに気づいて恥ずかしくなってしまったのだ。
10代の終わりから20代にかけては、自分は30過ぎまでは生きられないと思っていた。「いつくたばってもいいや」とうそぶいて、本当に投げやりで乱暴に生きていた。それが、予想外に30代に入り、その前半は、毎晩吐くまで飲んで、酒で死んでもかまわないと思っていた。
意識には、ずっと「死」という言葉が貼り付いていた。といっても自殺願望があったわけではなく、いつも生と死の境界線にいて、ほんの少し踏み外せば死の側に落ちてしまう感覚が常にあったということだ。
砂漠のレースに出かけるときも、山に出かけるときも、毎回、生きて帰ってこない気がしていた。危険な場面に出くわすと、何のためらいもなくアクセルを開けたし、悪天候も構わず岩場に踏み込んでいった。
転機になったのは、公道で二輪の事故を起こしたときだった。
深夜、大型バイクで多摩川沿いの道をとんでもない速度で走っていた。前方にトレーラーが走っていて、そいつを追い越したとき、「今、ここで犬でも飛び出してきたら避けきれずに死ぬな」と思った。と、同時に目の前の草むらの中から犬が飛び出してきた。そのときスピードは時速120kmを超えていた。咄嗟にハンドルを切ったが、それがハイサイドを招いてフロントをさらわれた。
ハンドルを握ったまま転倒し、バイクと地面に挟まれた。火花を散らして滑るバイクの下敷きになりながら、このままではバイクが反転して巻き込まれるなと思った。そして、自分でも意識しないまま挟まれた左足を渾身の力で引き抜いて、膝をついた。
ついた膝がブレーキになって、体は止まり、バイクはそのまま滑り続け、何度か回転して大破した。
左膝はズボンが破れて、皮膚も肉も削げて骨がむき出しになっていた。肋骨も何本か折れて、息が満足に出来なかった。
路上に足を投げ出した格好で座り込んでいると、さっき抜いたトレーラーの運転手が車を止めて、飛び出してきた。ぼくの前に回りこんで、「大丈夫か、生きてるか?」と腫れ物に触るように言う。「犬が、急に飛び出してきて…」と苦しい息で言うと、怪訝な顔で「犬? 犬なんかいなかったぞ」と彼は言った。トレーラーを追い抜いた直後のことだったから、犬が横切れば間違いなく運転手には見えていたはずだ。
「犬なんか飛び出していなかった…」と気づいたとき、愕然とした。「あぁ、自分は、今、死のうとしたのか」と。
その時から人生が変わった。無茶な酒はやめたし、二輪に乗るにも、山でも少し臆病になった。
それから20年近くを振り返ると、投げやりではないけれど、まだ丁寧には生きてこなかった。もう少し、いろんなことを大切にしてくれば良かったとあらためて思う。
ここに書いたような話を誰かに面と向かって話したことはなかったのだが、今日会った友人と話していて、なぜかそんな話題になった。
「しかし、そんな投げやりな生き方をする心境になったのは、何が原因だったんですか」
そう聞かれて、目の前で父親が死んだ時の光景が浮かんだ。
「ぼくの親父は、真面目を絵に描いたような人でね。たいした趣味もなく、公務員生活をコツコツと続けて…それが、急に死んでしまってね。病室でふたりきりだった時に、一瞬意識を取り戻して、そのまま目の前で絶命したんだ。ぼくが18歳のときで、そのとき、俺は太く短く生きてやるって思ったんだな…」
と、そんな言葉を口にしてしまってから、自分の自堕落を死んだ親父のせいにするなんて、とんでもねぇクソ野郎だなと恥ずかしくなった。
そして、あらためて、丁寧に生きなければ、親父に申しわけが立たないと思った。
あと何年、このクソ野郎(そんな言葉を使うこと自体、丁寧さにかけているけれど)の人生が残っているかわからないけれど、父とあの世で再会するまでは、精一杯、丁寧に生きていきたい。
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