昨夜、久しぶりに旧友と会食した。恵比寿のイタリアンレストランで、彼持参のとっておきのワインを開け、昔話で盛り上がった。
もうお開きも間近という段になって、3.11の話になった。
彼の故郷は陸前高田で、実家は昔、宿屋を営んでいた。彼の祖父の代に、昭和の大津波に遭って、最初の建物は集落ごと流され、その後、集落全部が当時の津波の高さだった海抜20m以上の高台に集団移転した。
そして、一昨年の3.11を迎えた。
集落の人達は、大津波警報が鳴り響く中、自分たちは安全だと思って避難しなかった。友人の母親も、「ここまでは津波は届かない」と安心していた。このときは、宿はたたみ、下宿屋をしていたが、下宿人が「こんなに、避難しろと言っているんですから、もっと高台に行きましょう」と、彼の母親を引っ張って、さらに高台に避難させた。
津波は、集落をはるかに越えて、何もかも押し流した。彼の実家も跡形もなく流され、集落の人たちは70人が亡くなった。
「ぼくは、常識に縛られていたら面白いものなど作れないと思ってずっと仕事してきたけど、それはクリエイティヴなことだけじゃなくて、日常でも言えることなんだなとつくづく思ったよ。ここまで津波はこないというのが常識になっていて、それで安心していたら命を落としてしまった。母は、身近に地元の常識を知らない人がいて、その人に助けられた。……常識にとらわれないためには、常に直感を磨いて、それを信じて行動しなくちゃいけないんだよな」
締めの言葉は重かった。
あらためて、3.11で犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。
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