先週、瀬戸内から戻った翌日は伊豆へ向かった。5月から取り組み始めたプロジェクトのミーティングのためだったが、時間があったので海岸に出てみた。
瀬戸内の穏やかな海とは違って、溶岩台地の磯に荒波が砕け散る。ぼくにとっての海のイメージはまさにこれだ。「波の花散る大洗」と歌われる磯節の舞台から少し南に下った海岸の町で生まれ育ち、海は荒々しいものだというイメージがずっと染みついていた。
それでも昔は遠浅の海岸で、引き潮になると波打ち際まで100mもあって、広々したビーチで砂遊びをしたり、ビーチマットをサーフボード代わりにしてスリリングな波乗りなどが楽しめたものだった。
ところが、いつのまにか砂浜は痩せ細り、大量の漂着ゴミで埋め尽くされるようになって、さらには原発災害で誰も寄りつかない場所になってしまった。故郷の海を亡くしてしまった喪失感は以前にも書いたけれど、伊豆で波の荒い外海に向かい合うと、どうしても「健全」だった故郷の海を思い出してしまう。
だだっ広い関東平野の外れで、自慢できるものといえば海産物しかなくて、友人が訪れれば市場に行って新鮮な魚介を仕入れて振る舞うのが唯一のおもてなしだったのに、それもできなくなってしまった。
故郷と同じ雰囲気の伊豆の海を眺めながら、この自然はなんとしても守りぬかなければならないと思った。
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