ゴールデンウィークの後半から今週は資料の山に埋もれて過ごしている。
来週から本格的に調査に入る伊豆に関する民話や地質、民族誌等々。今週発行するメルマガの記事のための宗教学関係の本。某テレビ局の企画で東ヨーロッパの黄金文明を取り上げることになり、東ヨーロッパ史を調べ始めたら、これはモンゴルから中央アジアにかけての騎馬・遊牧民族史を掘り下げなければ理解できないことがわかって、その関係の書籍。さらに、先月取材した陶芸の記事をまとめるための、民芸運動の歴史やら随筆……。
好きな分野の本を気ままに読むのもいいけれど、こうした必要に迫られての読書というのも新しい発見や、意外な繋がりが生まれて楽しいものだ。
伊豆に移り住んだ現代絵画作家の谷川晃一氏の『土地から空へ』では、伊豆の植生に熱帯の濃密な自然を感じたり、この土地の特別な「磁力」が創作のインスピレーションを与えてくれると、アーティストらしい感性で伊豆の自然環境を解説している。一方、地質学者の小山真人氏の著書『伊豆の大地の物語』は、遠い海にあった火山群がフィリピン海プレートに乗ってやってきて、本州にぶつかって伊豆半島となる1000万年あまりにわたる地理の歴史を伊豆半島の地質から読み解いていくものだが、そこには植生が熱帯的であることの裏付けや、火山活動が盛んなために磁気の異常が多いといった谷川氏の指摘に符合する箇所が沢山出てくる。
川端康成を筆頭に、昔から伊豆には多くの文学者や芸術家が惹かれて移り住み、今でも伊豆高原や下田にはアーティストが全国各地からやってきて住み着いている。そうした感性の高い人達を惹きつけるのが、伊豆の地質が持つ純粋に科学的なファクターだとしたら面白い。
東ヨーロッパの黄金文明についてはあまり資料がなくて、これは外堀から攻めていくしかないとスキタイに始まり、フン=匈奴、アッチラ、モンゴルといった騎馬・遊牧民の信仰体系や文化を調べていくと、意外にもこれらのノマドな民族たちが、大規模な遺跡を残していることがわかった。その遺跡というのは、ソ連が崩壊してロシア連邦の各国が共産主義イデオロギーの呪縛を逃れた考古学調査を自由に行えるようになってから発見(ものによっては、すでに発見されていたものをおおっぴらに公表できるようになった)されたもので、従来の遊牧・騎馬民族のイメージを大きく変える。
エリアーデは『世界宗教史』の中で、ブハラのイマームとジンギス・カンとの論争でのジンギス・カンの言葉を紹介している。「全宇宙が神の住居である。その一箇所(例えばメッカ)をとくに指定してそこに詣でたところで、何の意味があるのか」。エリアーデは、これを遊牧民の世界観・宗教観であり、だからモンゴルのテングリ信仰では神殿を持たなかったとする。だが、これも共産主義時代の考古学調査の停滞もしくは隠蔽によって考古学的な発見が表に出なかった可能性もあるし、あるいはジンギス・カンのモンゴル帝国の信仰的価値観と彼らの前身である民族のそれとは異なるものなのかもしれない。
一方で、『世界宗教史』を読み直す中で、ウラル山脈中央部のペルミ地方が先史時代の様々な鉱石の産出地であったことや、古代スラブに、スキタイや黄金文明民族(スキタイも黄金文明と呼べる金の装飾文化を持っていたけれど)に見られる社会の平等性や、父親が息子の婚約者と寝る権利(古代スラブでは「スノハスチェストヴォ」と呼ばれる)が残っていたといった記述を見つけて、とても参考になった。
また、民芸関係では、柳宗悦が『雑器の美』の中で、次のように語る「注意されるべきは素材である。よき工芸はよき天然の上に宿る。豊かな質は自然が守るのである。器が材料を選ぶといふよりも、材料が器を招くといふべきである。民芸には必ず郷土があるではないか。その地に原料があって、その民芸が発足する。自然から恵まれた物資が生みの母である。風土と素材と製作と、是等のものは離れてはならぬ。一体であるとき、作物は素直である。自然が味方するからである……」。
この柳宗悦の言葉を「建築」に置き換えれば、そのままアレキサンダー・ポープが「バーリントン卿への書簡」で記したゲニウス・ロキの話になる。そして、それは谷川晃一氏が伊豆高原の自然の中に身を置いて創作する実感にも符合する。
といったわけで、今週はじっくりとこうした資料の森の中を渉猟して、来週からは、いよいよフィールドワークに出かけて、今度は頭ではなく、体で様々なシンクロニシティを得てくることになる。
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