伊豆の特徴である白龍(水)と赤龍(火山・溶岩)をシンボルとする。水と火は五行思想では互いに打ち消しあう「相克」だが、溶岩が海と出合って生まれた伊豆半島は相克によって無になるのではなく、そこから「大地」が生み出された。それを修験道ではマジカルな現象と見る。
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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.23 2013年6月6日号
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◆今週のインデックス
伊豆半島の聖地
・伊豆山と富士山を結ぶもの
・来宮=木宮=紀宮
・伊豆の太陽信仰
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気象庁は、5月のうちに早々と関東の梅雨入り宣言をしましたが、 梅雨前線は南に下がって、梅雨入り直前よりもいい天気が続いてい ます。
私がまだ学生だった30年以上前には、登山の時は小型の天気図帳を持っていて、テントの中で短波の気象通報を聞きながら天気図を起こして、その日の行動を決定したものでした。当時はまだ今ほど異常気象が顕著ではなくて、「梅雨明け十日(梅雨前線が太平洋高 気圧に押し上げられ、日本列島が太平洋高気圧に覆われて梅雨明けすると、その後十日間は天気が安定する)」のセオリーも当てはま る、比較的安定した気象でしたが、それでも天気図から天気の変化を正確に予測するのはとても難しいものでした。
観測技術や機器は飛躍的に進化しましたが、地球の生理が大きく変化して、過去のセオリーが当てはまらなくなってしまったことで、 トレードオフのように予測は難しくなりました。梅雨入りをはぐらかすような梅雨前線の南下を見て、今の予報担当者の苦労が目に浮 かびます。
と言いつつも、ちょうどこのタイミングで、伊豆半島のレイライ ンの本格的な取材がはじまり、予想しなかった晴れ間に喜んでおり ます。
この講座の18回と19回で、伊豆半島のフィールドワークの話を掲載しましたが、その後、伊豆急沿線でレイラインのポイントを調査 し、それを結ぶツアーを開発していく契約が正式に決定し、その調査を開始したのです。
これから三ヶ月あまり、頻繁に伊豆に通って克明な調査を行なっていきますので、しばらくはその具体的な成果を元に、聖地の本質に迫っていきたいと思います。
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伊豆半島の聖地
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【伊豆山と富士山を結ぶもの】
伊豆半島の聖地は、熱海の伊豆山を中心とする修験道系、やはり熱海の来宮神社を中心とする来迎神もしくは漂泊神系、さらに三嶋大社を中心とする太陽・火山信仰系の三種類に大別できます。
これら三つの信仰をバックボーンとした聖地が、半島全体、特に東海岸に多く点在しています。
この三つの系統のうち、まず伊豆山系について見てみましょう。
熱海駅から北北東へ1.5kmあまり、緩く弧を描きながら北西へ折 れていく道を辿ると、鬱蒼とした緑に覆われた丘陵に吸い込まれるような伊豆山神社の参道へと続きます。急な階段を登り切ると、落ち着いた社殿が出迎えてくれます。今は本殿の壁に施された彫刻の 塗りなおしの作業が行われていて、組まれた足場の間から極彩色に塗り替えられつつある彫刻の一部だけが顔を覗かせています。
『梁塵秘抄』によれば、「(伊豆山は)我国第二の宗廟(第一は伊勢神宮)と崇め、関東の総鎮守なり、往古より武門誓詞の証明、 開運擁護の霊神と称し奉る。山中の秘所は八穴の霊道・幽道を開き、 洞裏の霊泉は四種の病気を癒し、二十六時中に十方の善悪・邪正を裁断したまう事、この御神の御本誓なり。八穴道とは、一路は戸隠 ・第三の重巌穴に通ず。二路は諏訪の湖水に至る。三路は伊勢大神宮に通ず。四路は金峰山上に届く。五路は鎮西・阿蘇の湖水に通ず。 六路は富士山頂に通ず。七路は浅間の峰に至る。八路は摂津州・住吉なり。四方の修験霊験所は伊豆の走井(走湯)、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆(鳥取)の大山、丹後の成相、土佐の室生、讃岐の志渡…」とあり、伊豆山が全国の聖地の一つの中心地のように取り上げられています。
伊豆山の伝承でもっとも有名なのは、修験道の創始者である役小角が伊豆山を見出し、ここを聖山として開いたという話です。
奈良の都で様々な奇跡を行い、宗教的なカリスマとなっていた小角は他の宗教勢力の妬みを買い、文武三年(699)に妖術をもって人心を惑わした罪により、伊豆大島へ流刑されます。しかし、仙術を 自由自在に使いこなす小角は、昼間はおとなしくしているものの、夜になると自由に空を飛んで、冨士山で修行を積んだとされていま す。その小角がある日、伊豆大島から伊豆半島を見渡していると、 五色の彩雲が棚引いているのを見つけます。その場所が伊豆山で、小角はさっそく伊豆山へ向けて海を渡ってきます。
伊豆山の磯辺に小角が辿り着くと、海の底から金色八葉の蓮華に 乗った菩薩や天仙、千手千眼の観音が現れたかと思うと、たちまち姿を消し、その後に金文字で書かれた経文が浮かんでいました。経文には無垢霊湯、大慈心水、沐浴罪滅、六根清浄とあり、小角は伊豆山権現を祀る堂を伊豆山の麓の「走湯(そうとう)」と呼ばれてい た源泉近くに設けたとされます。この伝承が、ひろく伊豆山開山の由来として伝えられています(小角以前に遠い異国から渡ってきた 三人の仙人が開いたという伝承もあります=走湯山縁起)。
小角にひき続いて、空海もここで修行したという伝承もあります。 先に挙げた『梁塵秘抄』の文章の中に関連する霊験所として土佐の室生、讃岐の志渡という二つの四国札所が数えられ、室生は空海が まさに悟りを開いた場所であることからも、伊豆山が修験道確立期から重要な聖山として知られていたことがうかがえます。
『走湯山縁起』では、伊豆山と富士山が、それぞれ両界曼荼羅の入口と出口に当たるという記述もあり、それは伊豆山神社の配置で体現されています。
伊豆山神社の本殿と正面から向かい合うと、その背後は方位角310° になりますが、これは正確に富士山頂を指し示しています。また、社殿背後の緑濃い丘はご神体山といえますが、そこにある本宮神社もこの線上に載せられています。これは、伊豆に配流された小角が富士山まで飛んで修行を重ねたという伝承にも符合し、冨士山と伊豆山の結びつきが深いことを示しています。
伊豆山修験の一つの特徴は、伊豆の海岸部に多い海蝕洞窟を修行場とすることですが、両界曼荼羅の地下世界で繋がるとされる富士山も溶岩台地にできた深い洞窟(風穴や氷穴など)が修験の修行場と されていました。伊豆の洞窟の中からは空と海しか見えず、冨士山 の洞窟の中は外界の光が微かに指すだけで、それらに篭り、開祖の 役小角を思い浮かべながら修行に励めば、自ずと小角の伝説が思い浮かび、それがリアリティをもって感じられたことでしょう。伊豆山神社からは富士山を目視することはできません。しかし、GPSの計測で非常に正確に富士山を指しているということは、単に役小角 の伝説に符号させただけではない、もっと具体的な意図が秘められているように感じます。
伊豆山神社の境内には、雷電神社という摂社が祀られています。 これは、方位角220°で、背後に熱海の来宮神社を背負う格好で配 置されています。来宮神社についての詳細は後述しますが、来宮はしばしば木宮とも記されるように、樹木信仰をベースに持っています。熱海の来宮神社は樹齢1000年を越えるといわれる大楠がご神体とされ、神社の由緒には「元々は自然信仰の聖地だった」と明記さ れています。
修験道は山岳信仰をベースとしていて、山に含まれる巨石や巨木も聖なる力が具現したものとして崇めます。そういったことを考え ると、熱海の来宮神社はもとは伊豆山の神域に含まれる修行場だっ たのかもしれません。
雷電神社の横にある手水は、紅白の龍の口から水が流れ出してい ますが、この紅の龍は火を表し、白は水を表しています。火と水は 陰陽五行の概念ではともに消し合う「相克(そうこく)」という関係 にありますが、ここでは、火に象徴される火山と、水に象徴される海が出合い、ぶつかり合ったところで大地が生まれ、さらにそのダ イナミックなエネルギーの奔出が温泉を生んだととらえられているわけです。また、雷電は火山噴火の荒々しさを象徴しているといえるでしょう。
伊豆山神社の祭神は、伊豆山神(天忍穂耳尊(あめのおしほみみ のみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵 尊(ににぎのみこと))の三神とされていますが、これは明治の神仏分離令によってかなり強引に付会されたもので、実際には明らかではありません。
そもそもが神仏習合の修験道の聖地であり、また火山信仰も含まれていたことを考え合わせると、ここは様々な神仏が混淆しあうプ リミティヴな聖地であるといえるでしょう。
熱海には、日本の私立美術館の先駆けであるMOA美術館がありますが、これは、伊豆山神社と来宮神社の間にあって、伊豆山神社の配置とまったく同じく富士山を背にする形になっています。また、 その西には広い丘の中腹一面を利用して階段状に建設された熱海パサニアクラブというリゾートマンションがありますが、これも同じ く富士山を背にしています。意図的なのか単なる偶然なのか定かではありませんが、大規模な建築物は今でも風水やレイラインという ことを意識して建てられるケースが多いので、そのうち、関係者に取材してみたいと思います。
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