先週は、一泊二日で益子を訪ね、20代から30代の若手陶芸作家5人を取材してきた。吉祥寺にあるセレクト雑貨ショップ「MIST∞(ミスト)」に並ぶ個性的な作品とその作家を紹介するもので、MIST∞のオーナー小堀さんも同行し、益子へ向かう車中や宿では、陶器という「モノ」を介した小堀さんと作家たちの想いが繋がったエピソードを伺った。
"MISTO"はイタリア語で「混合する」「繋ぎ合わせる」といった意味。最後のOを無限大の記号に置き換えることで、小堀さんの想いと様々な作家との想いを繋ぎあわせ、それをお客さんに手渡す場としてのショップをイメージしてネーミングされた。
本来、「モノ=物」は、作り手の想い、作り手から使い手に手渡す人間の想い、そして使い手の想いが含まれた総体的な「何か」であって、唯物論で語られるような無機的な財貨のようなものではない。
藤枝静男の『田紳有楽』では、年期を出して高く売るために池の泥の中に埋められた二束三文の雑器が魂を持って賑やかに蠢きまわる。こうした「付喪神」の信仰というか思想は日本には古来からあって、日本という国の形=日本というモノを作った元締めの神が「大物主(大国主)」と呼ばれるあたりにも象徴される。
世界最古の焼き物の土器は、縄文時代に日本で生み出されたとも言われ、陶器は我々の身近に常に寄り添うように存在してきたモノだから、愛着も深く、それだけ付喪神の色も濃いだろう。粘土には、DNAのような生体コードを型にとる形態場があって、そのコードを複製するといったオカルトめいた説もある。作家が無心に粘土を捏ね、形を作り、仕上がりを想像しながら絵付けをし、釉薬をかけ、そして最後に炎に全てをゆだねて祈るといった一連の工程から生み出され、そこに作家の人生の全てとこれからの可能性をしっかりと滲ませている一つの陶器を手にとって、その感触を味わっていると、たしかに陶器という形態場に作家の全てが刻み込まれているのかもしれないと思わせる。
今回最初に訪ねたIさんは、器の表面に泥状の化粧土を流して模様をつけるスリップウェアという技法で、世界的にも名を知られている。人当たりが柔らかく、自宅も兼ねた工房で見せる家庭人の顔も、理想的な若いお父さんで、若くして伝統技法を確立した陶芸家というイメージから連想させる気難しさはまるで感じられない。そうした彼の穏やかさは作品にも現れていて、上に掛けたスリップが下地と交じり合い、エッジが微妙に溶けあって、陶器ではなく絣の着物地のような柔らかい味わいを見せている。
彼は長年、益子の製陶所に勤めた後に独立して、そのとき、西日本から九州沖縄まで各地の陶房を訪ねて、各地の土や空気や水、そして技法を体で感じ取っていった。自転車で半年もかけた旅で、苦労も多かったと思うが、苦労話など一言も話さず、楽しく勉強になった思い出だけを語る。
二人目のKさんは、Iさんの製陶所の後輩で、やはりイッチンという技法を手がけて、これをものにした。いかにも昔ながらの陶器工房といった趣の洞窟のような土間とコンクリートプロックの建物の奥で、轆轤を回し、一心不乱に唐草模様を器に落としている。
土に向かうと時間を忘れ、アナグマのように陶房に篭ってしまうので、日曜は意識して奥さんと表に出るようにしていると、取材を意識してか少し固い笑顔を見せる彼は、まさに実直そのものの雰囲気。
三人目のTさんは、まだ20代の若々しい女性で、ぼくたちを出迎えてくれた姿には、「陶芸家」という厳しい雰囲気は微塵もない。陶芸の道に入ったのも、「一人でできるものづくりが好きで、高校の陶芸科から専門の学校に進んで、昔から好きだった絵をつけているんです」と、至って自然体。でも、絵付けしたシンプルな人物画とどこかイスラミックな幾何学模様の色の出方にはこだわりがあって、傍目には良さそうに見える出来の器も、「いい色が出ていない」と、きっぱりと否定する。
四人目のTさんは、「今では、流通が進んでいますから、益子にいても全国の土や釉薬が手に入りますけど、ぼくは、この土地の土と釉薬にこだわりたいんです」と、今ではたった一人になってしまった手漉しの粘土職人のおじいさんを紹介してくれた。
Tさんが作る器は、奇を衒うところがなく、シンプルで益子伝統の形を踏襲したものが多いけれど、そこには、曰く言いがたい彼のしっかりした個性が焼き固められている。
ぼくも長年、レイラインハンティングで、個々の土地に特有のゲニウス・ロキ(地霊)を追いかけてきたので、彼が言うその土地にこだわったものだけが持つ雰囲気というものがよくわかる。同じような粘土と釉薬を使って同じように焼けば、見た目は同じようなモノができるけれど、それは益子という土地が育んだ素材だけで作られたモノとは決定的に違う。
たとえが変かもしれないが、ぼくは彼に「正しい錬金術師」の片鱗を見た気がした。錬金術の奥義は、非金属を貴金属に変えることではなく、錬金術を正しく行うことで、錬金術師本人とともに、その錬金術師が生み出したモノに触れた者の意識を変容させる。そうした奥義を極めたパラケルススのような人物に至る可能性のようなものを。
二日間の取材の最後に訪ねたNさんも、今の益子を代表する若い作家の一人で、彼は、釉薬の使い方に特徴がある。様々な釉薬を薄造りの器に流し、角度によって微妙に異なる玉虫が輝く。その仕上がりを90%まで自分がコントロールし、さらに10%の意外性を炎が付加してくれる、そうした炎との戯れといったようなものが楽しくて作陶するという。
散々、様々な色合いや風合いを試してきて、今は純粋な白と釉薬本来の滑らかさがテーマだという。
二日間で出会った五人の若者たちは、皆、それぞれに個性的で、こだわりを持って生きているけれど、みんな自然体で気負いがなく、飄々として、充実した生活をしていることに驚かされた。
帰りの車中で、自分の20代の後半から30代の頃を思い出し、彼らと比較すると、思い切り気恥ずかしくなった。同時に、これからの日本も捨てたものではないなと、ほのぼのと安心した。そして、今回出会った彼らの成長が楽しみになった。
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