映画「東京裁判」の中で、民間人として唯一のA級戦犯に問われた大川周明が前に座っていた東条英機の禿頭を扇子でポカリと叩く場面が出てくる。大川はその後も、裁判中に奇行を繰り返し、ついには精神耗弱で無罪となる。
その後の大川がイスラム教の研究に没頭し、コーランを翻訳していたことを知らなかった。
NHKのシリーズ番組「日本人は何を考えてきたのか」の『第10回 昭和維新の指導者たち ~北一輝と大川周明~』は、田原総一朗をナビゲーターに松本健一が解説者として登場し、北一輝と大川周明という、昭和の軍部台頭の思想的な裏付けを作ったとされている二人の思想家を取り上げた。
松本健一は、ぼくがまだ学生の頃、朝日ジャーナルでイスラム革命をモチーフにしたファンダメンタリズム論を連載していた。これは後に『挾撃される現代史 原理主義という思想軸』(筑摩書房)という形にまとめられるが、これは、右翼や左翼といったイデオロギー論がいかに表層的で、政治運動の根底にあるエートスからかけ離れたものかをわからせてくれた。そして、もっとずっと根深い「地」と「血」に絡み合うファンダメンタリズムこそが政治運動の動力になっていることを見つめなければならないと、わかりやすく教えてくれていた。
この連載が終了した80年代初頭以降、ソ連と東側諸国が瓦解し、これを「民主化」と歓迎した西側の楽観的な見方に反して、ファンダメンタリズムが台頭し、世界は自由で民主的になるどころか、泥沼の戦いが世界中に噴出して、未だその混沌が続いている。松本健一は、この一連の流れを正確に予測していた。
『昭和維新の指導者たち ~北一輝と大川周明~』の中で、松本健一は、戦前は汎アジア主義を唱え、戦後はイスラム研究に没頭した大川周明の心理を分析して、イスラムの中に地理的にも思想的にも東洋と西洋を繋ぐ要になるものがあると信じていたとする。松本は自らがイスラムファンダメンタリズムを軸に、キリスト教から東洋のファンダメンタリズムまでも鮮やかに解剖して見せただけあって、その大川論は納得できるものだった。
北一輝は、2.26事件の思想的支柱であったとして銃殺された。北一輝の思想も西洋列強に立ち向かうためにはアジアが団結すべきであるという汎アジア主義だった。そして、大アジアを実現するために、いち早く西欧文明化を遂げた日本が手本を示し、軍事強国となってアジアを束ねて行かなければならないとした。それは大川も同じだった。
北と大川が違ったのは、北は大財閥と政治エリートが支配する日本の封建的な体制を昭和維新で打ち破り、国家社会主義の国民国家を創りあげることを主眼に掲げたが、大川はアジアに対する日本の影響力をあらゆる形で発揮していくことこそが重要という実践主義の立場を取った。
北は2.26事件に連座して、その理想主義に殉じた。大川は、その2.26事件を機に台頭した軍部を自らの汎アジア主義実現のための道具として活用しようとした。
ファンダメンタリズムが「地」と「血」に根ざしたものだけれど、それもまたイデオロギーほど希薄ではないにしても、やはり幻想であり、政治のバックボーンとするには不安定すぎる。
貧しい農村出身の青年将校は、平等な国を作ろうと、北のファンダメンタリズムを援用したが、結局は「天皇主権」の壁に阻まれて、国賊とされてしまう。大川のファンダメンタリズムを利用した軍…とくに関東軍…は、それをバックボーンに、「大アジアの解放軍」を自認し、西洋から完全に独立したアジアを築こうと動き出すものの、結果的には大陸での大虐殺と、アメリカ資本主義の日本征服を招いて終わってしまう。
ファンダメンタリズムを理想に掲げて始まった運動が、様々な利害関係の渦の中で、最低の犯罪に堕してしまうのは、ソ連のアフガン侵攻に抗して立ち上がったジハードが、古い宗教回帰のタリバンとなり、様々な勢力に都合よく利用されるアルカイダとなってしまったのもまったく同じ構造だ。このことを、松本健一はアフガン侵攻の頃から、完璧に予言していた。
そして今、不気味なファンダメンタリズムをもたげてきたのが中国だ。
清代に欧米覇権主義の餌食にされ、日中戦争後は逆に中央アジアやチベットで露骨な覇権主義を見せてきた中国が、「アジアの盟主」というファンダメンタリズムを唱えて、本格的に東南、東アジアに手を伸ばしはじめている。
ファンダメンタリズムに対抗するには、軍事力ではどうにもならない。明治維新から太平洋戦争に至る日本の歴史の裏側に蠢いていたファンダメンタリズムをもう一度捉え直し、その反省を踏まえたうえで、今、中国を覆い始めているファンダメンタリズムの根にある矛盾に中国人自身が気づくように、地道に努力していくしかない。
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