振り返ってみると、3.11以来、物事の大局ばかりに目が行くようになって、身近なことが疎かになっていたように思う。
そんなことを選挙の季節を迎えて、みんなが、この国の将来をいったいどの政党に託したらいいのかと、大局に目を向けるようになってから気がついた。
国防や環境、そして経済のことをまったく考えないのも問題だが、そんなことばかり床屋談義に耽っていては、自分の生活が立ち行かなくなり、ますます政治によりかかって、期待と失望に一喜一憂することになってしまう。
そろそろ、身近なことに立ち返って、日銭をしっかり稼がねばと算段すると同時に、そうした近視眼的な目線から、逆に政治を考えてみたいと思っている。
「第三極」だの「第四極」だのと、百家争鳴的になってきているけれど、そのマニュフェストを見ると、どれもこれも大同小異。もはや客観的判断は不可能ともいえるので、思い切り卑近な視点から、主観的に、誰をどの政党を選ぼうかと考えてみる。
まず政権与党の民主党。ぼくの選挙区は枝野の地盤で、さっそく選挙カーからは肉声が流れているけれど、民主党も枝野も選ぶ気はない。「官僚制打破」を叫びながら、官僚に取り込まれ、理想をいくら語っても、それを現実化できるだけの器量が民主党にあるとは思えない。唯一、鳩山が政界を引退するのは、ようやく自分の言動に責任をとったかと評価するが…。
自民党は、安倍が率いているというところで、どうにも信用出来ない。「美しい日本」のビジョンがどうにも貧困過ぎて、お笑い種としかいいようがない。自民党で不思議なのは、河野太郎のような元々反原発の立場の人間が、どうして籍を置いているのかということ。若手では評価できる人がけっこういるのに、「自民党」という枠内にいられては、票を入れる気になれない。
維新の会は、地方分権・道州制導入には両手を上げて賛成するけれど、好戦的なムードがどうにも気に入らない。戦争になりそうな危険な駆け引きに一歩踏み出すのと、今までやってきたように有耶無耶なままで先送りしていくことのどちらを選ぶかと言われれば、後者の立場で、時間をかけて交渉していくのがいいと思う。
日本未来の党は、小沢がいるので一も二もなく問題外。こと選挙になると大衆受けするスローガンと候補者を繰り出し、しっかり票を押さえていく小沢の手腕は凄いと思うけれど、どこからどうみても確固とした政治理念があるとは思えない。今回は、みんなの党の渡辺が、小沢のスローガンはみんなの党のパクリだと言ったが、まさにそのとおり。渡辺の憤りがよくわかる。
日本未来の党で、唯一いいなと思えるのは、子ども手当。それこそ卑近な話だが、小学校3年生の息子の養育費を払う身としては、月々プラス3万円あると、いろいろ興味を持って勉強したいと思っている息子が本を買ったり、英語を習ったりすることに使えてありがたいと思う。
現金で払うと、親が他のことに流用してしまうという懸念を話す人も多いが、子育てや教育に使うお金を親が他に流用してしまうような倫理観を持つ国は、どう逆立ちしても「美しい国」にはなれないと思う。まず、そうした大人の倫理観を正すところから、「美しい日本」を語っていって欲しいと安倍に言いたい。
終始一貫、ビジョンが変わらず、評価できるのは共産党と社民党。だが、どちらも孤立してしまっていて、連立政権でキャスティングボードを握る勢力になるとは思えない。姿勢を評価して、人生で初めて共産党に一票投じたい気持ちもあるが、それは地元の選挙区で、他に候補者が見当たらなかったときに、プロテストの意味で入れる感じか…。
いろいろな主張に共感できて、共産党や社民党のように仲間はずれになっていなくて、場合によっては政権でキャスティングボードを握れそうなところといえば、みんなの党。維新に合流すれば、政権に参加できる可能性も高くなったはずだが、あえて主張を曲げずに独立を守ったことも肩入れするところ。だが、TPPについて積極的な姿勢がどうか…。
と、いろいろ考えていたら、床屋談義風になってしまった。大同小異で区別がつかないのだから、結局、「人柄」で選ぶしかないかな…。
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