「癒し」ではなく「安心」。癒しは、日常生活と違う特殊な環境に身を置いたり、あるいは日常から気分を引き離してくれる何物かに接してリフレッシュすることだが、それは一瞬で過ぎ去ってしまい、再び日常へと戻っていかなければならない。そして、また単調な日常の中でストレスが溜まると癒しが欲しくなってくる。
安心というのは、癒しのようなカタルシスはないかもしれないが、身も心もリラックスして、感覚がとても自由になる。そして、安心の記憶はいつまでも残り、その記憶を振り返るだけで、また同じ感覚を持つことができる。
「癒し」と銘打った様々なものが今の世の中には溢れているけれど、「安心」をもたらしてくれるものはとても少なくなってしまった。
帰宅するとホッとする家庭があって、隣近所のコミュニティで助け合う安心があって、商店街で買い物をすれば、気心の知れた八百屋や肉屋や魚屋と世間話をしながら素性のはっきりした安心できる品物が買えた。そして、良く手入れされた田畑が広がる農村は、その風景の中に佇んでいるだけで、自分が人と自然の大きな調和の中にいる安心感があった。
先週はずっと奥飛騨を中心に、山里を巡っていた。
高山市の郊外、旧上宝村の傾斜のきつい山間を車で登り、まだ遥か頭上に鐘楼と本堂を仰ぐ小広いスペースに車を止めて歩き出そうとしていたところ、荷台に無造作にエンジン式の草刈機を積んだ軽トラックが通りかかり、声を掛けられた。
「これから参拝されるのかい? それなら、本堂まで車で入れるから、わしについてくるといい」
その日焼けした初老の男性に先導されて、棚田を縫うあぜ道のような曲がりくねった細道を行くと、立派な楼門が現れた。中腹から仰ぎ見た桂峯寺の楼門だった。
境内からは、深い谷へ向かって棚田が広がる里が一望できる。そこから涼しい風が吹き上げてくる。
他に参拝者はなく、玄関から訪ねると、中年の住職が応対してくれた。
「暑い中、わざわざご苦労さまです。今、風を通しますから、ゆっくりと参拝されてください」
書院から本堂へと続く大きな建物の扉や窓を住職が開けてくれると、谷からの風が建物内を巡って、気持よく抜けていく。
ここには、本尊の聖観音の他に、竜頭観世音菩薩、十一面観世音菩薩、今上皇帝、三体の円空仏が安置されている。円空仏は、尾根を一つ隔てた双六谷の観音堂に安置されていたものを観音堂が廃されるときに、ここに移転したもの。いずれの仏も間近に拝むことができる。
「霊木化現」。樹には、その土地そのものともいえる神仏が宿り、その樹を彫れば、その神仏が姿を表す。その信念で、土地の神仏と向き合ってノミを振るった円空は、生涯で12万体の仏を彫った。
円空仏といえば、一気呵成に掘りあげた通称「微笑仏」と呼ばれる素朴な仏が多い。また、ノミ跡が大胆で荒削りなのが特徴だけれど、時おり、優しいタッチで丁寧に彫り上げた円やかな観音がある。桂峯寺の十一面観音も円やかな姿をしている。美濃の長良川河畔に生まれた円空は、幼い時に母親を洪水で失った。梅原猛は、円空仏の中には母に対する想いと哀しみを秘めたものがあると指摘しているけれど、丁寧に円やかに彫られた円空仏からは、失ってしまった母の面影をそこに再現しようとしている円空の姿が見えてくる。そして、その円空仏からは、母親の深い慈愛が滲みだしているように感じられる。
奥飛騨は、円空が長い間滞在して多くの仏を彫った。かつては、それが小さな集落の観音堂に安置されて、集落の人たちはそれを撫で擦って親しんだという。
今でも奥飛騨には多数の円空仏が残されているけれど、多くは寺社に秘蔵され、簡単には拝観させてもらえない。桂峯寺はなかなか気軽に訪ねられないような山奥にあり、昔ながらの集落の人情が残っている。そんなせいもあって、ぼくたちのような遠来の参拝者を優しく迎えてくれる。「秘仏」とされた円空仏を開帳日に見に行ったり、教育委員会の許可を得て拝観させてもらうというのは、みんなが親しめる仏として彫った円空の本意ではないだろう。
桂峯寺の住職の勧めに従って、じっくりと円空仏と対面しているうちに、懐かしい故郷に戻ったような安心感に包まれていた。そして、表に出て谷へ向かって下っていく道の両側に広がる棚田をあらためて見渡すと、それもまた、ホッと力を抜いて心が和む安心する風景だった。
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