白馬在住のSさんから、「春になりました」と山行へのお誘いのメールをいただいた。雪国の人から春の訪れを告げられると、季節が変わったんだなという実感が一入だ。
続けて、Sさんは「また、痛ましい遭難が起きてしまいました」と続ける。
白馬岳で一昨日に起こった遭難。60代、70代の老人が凍死した。Sさんは白馬三山を見て育ち、自分の庭のようによく知っている人だから、そこで亡くなった人をけして悪く言わないし、場合によっては、自分の命を危険に晒して救助にも出かける。
彼が「痛ましい遭難」というのは、無知なうえに山をなめて死んだ老人たちが、その無知さゆえに痛ましいと思ったのだろう。だけど、ぼくは痛ましいというよりも、あの無知な老人たちが、救助に向かった山のベテランたちの命を危険に晒したことが許せない。
同じ日、涸沢岳では6人が遭難して、一人が死亡した。報道では伝えられていないが、この遭難では、山岳救助隊と涸沢山荘の従業員たちが、吹雪の深夜に決死の救難活動を続け、心配停止していた何人かを蘇生させた。
いい歳をして、人の命を危険に晒して、生き残った老人たちには、これから死ぬまで自分たちの浅はかさを心底恥じいり、反省しながら生きていってもらいたい。
こういう遭難事件があると、崇高な山を穢されたようで、ほんとうに不快極まりない。
しかし、そんなふうに義憤に駆られるのは、ぼくが所詮は似非山ヤだからなのかもしれない。ほんとうの山ヤは、Sさんのように、どんなに無知で無謀であろうが「痛ましく」「残念だ」と思う優しさを持った人であり、「全員を蘇生させたかったのに、力及ばなかった自分が悔しい。ぼくたちは三歩(漫画『岳』の主人公)ではないのだ」と呟く、涸沢岳で夜間救助に当たった面々だろう。
今回のような遭難者たちを無知でバカだと罵り、唾を吐きかけたく思う自分を、ぼくは恥じるべきなのだろう。そして、Sさんのように優しい人間でありたいと思えば、やっぱり山に行くしかない。
ほんとうは、山が恋しくて恋しくて仕方ないのだ、今のぼくは。
あれれ、ハンドル名の後ろに本文のコピーがくっついてましたね。
失礼しました、なんでそんなことが起こるんでしょう?>Android
ま、ともかく。
確かにお気持ち分かりますけどね。
親しい人間が危ないレスキューに出てて、自分自身は安全なとこにいたりすると特にね。
(今度はバグりませんように)
投稿情報: リュウ・タカハシ | 2012/05/09 05:22
>リュウさん
コメントありがとうございます。
現場にいれば、自分でも人命を救うことだけ考えて行動します。
どんな状況であろうと、助けた人に情を感じます。
当事者ではない立場から見た時に、遭難者の行動や心構えがどうしても許せない……その点が、Sさんのような筋金入りの山ヤと違うなと感じたのです。
投稿情報: uchida | 2012/05/08 13:02
「似非」とか「ほんとう」とかってことじゃなくて(僕には線引きが分かりませんけど)、実際にレスキューしたことがあるか否か、それだけのことだと感じます。
死の淵に半歩足をつっこんでいる人を目の前にして、彼に唾を吐きかけられる人はいません。
レスキューが成功したときの喜びも、説明のつかないとても根源的なもので、優しさとはちょっと質が違うと感じます。
レスキュー隊の皆さん、本当にお疲れさまでした。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
投稿情報: リュウ・タカハシ | 2012/05/08 11:40