一昨日は、FMヨコハマが発行しているフリーペーパー"ステーションブレイク"の取材で、土曜13時~16時オンエアの"エアークルーズ"パーソナリティ鈴木まひるさんと、江の島周辺の神社仏閣を巡ってきた。
江の島というと、鎌倉まで足を伸ばしても遠望するばかりで、訪ねたのは遠い昔に二度渡ったかどうかといったところだった。それもまだ聖地やらレイラインに関心のなかった頃のことで、雑踏している印象しか残っていなかった。
レイラインハンティングをはじめてからは、江の島がかなり面白い要素を秘めた聖地であることがわかり、じっくりと調べてみたいとは思いつつ、「近場なので、いつでも行ける」という意識が、なかなか腰を上げさせなかった。
今回はローカルFMの仕事で、ご当地のポイントをというリクエストがあり、また、藤沢の朝日カルチャーセンター湘南教室の講座でも野外調査を予定しているので、江の島を訪ねるのは絶好の機会だった。
江の島は日本三大弁財天として有名だけれど、元々は、九州の宗像大社と同じ宗像三女神を奥津宮、中津宮、辺津宮の三社で祀る聖地だった。また、役行者をはじめ、泰澄、空海、木喰などの修験者が岩屋と呼ばれる海食洞窟に篭って修行したと伝えられる。今では、岩屋の奥に入ることはできないが、南を向いた入り口から北西へ向かって伸びる洞窟は長さが150mあり、奥津宮の直下に達している。海食洞窟の有様は、虚空蔵求聞持法の修行中に空海の口に明星が飛び込んだ「明星来影ス」の逸話に符合して興味深い。
近年、江の島の地下に何本も断層が走っているのがわかったが、かつてこの地に五つの頭を持つ龍がいて、様々な災いをなし、さらには毎年の生贄を求めたという伝説は、その断層が引き起こす地震を象徴していたのかもしれない。能登半島を横切る巨大断層「知邑潟断層帯」は、この断層にそって泰澄が魔物を退治するための鉢を埋めたとされる場所が残っている。地に潜む魔物を退治する地鎮のエキスパートともいえる泰澄が足跡を残していることも、江の島という土地の性質を物語っている。
聖地性が高い土地は、一つの宗教が聖地とするだけでなく、様々な宗教が重層的に聖地としていることが多い。江の島も、修験、神道、仏教が折り重なり、さらに鎌倉幕府から江戸時代の徳川家、また江戸の庶民から現代の観光客まで、多くの人たちを引きつける場所として、いまだにその力を保っている。
今回、江の島を訪ねて、社殿の向きやら位置関係を調べ、さらに江島神社の宮司さんや関連する寺の住職に話を伺って、どこにも語られていない興味深いものにたくさん行き当たった。たとえば、興津宮と辺津宮がぴったり同緯度に並べられていたり、西洋のドラゴンそっくりの羽のある龍が象徴的に彫りつけられた建物があったり、江の島の対岸の高台から辺津宮を見つめる社があったり……そんな江の島の不思議に出くわす度に、ますますこの土地への興味が深まっていった。
今回一緒にレイライン探索をした鈴木まひるさんも、神社仏閣に隠された様々な記号の意味を考えながら巡ることで、俄然、聖地巡りに興味が湧いてきたようだった。印象的だったのは、江島神社の宮司さんが教えてくれた対岸の社を訪ねた時、その空気がとても清々しくて気持ちがいいと感動し、さらに「手の平がピリピリしませんか?」と、その場所に感応した様子を見せたことだった。
ぼくは、そこが特別に気持ちのいい場所だとは感じなかったのだが、試しにそこの磁場を測ってみると、江の島の辺津宮に向かって伸びる参道から丘の上にある社までの間、42μTでまったく変動がなく安定していた。こうした例は、滅多にない。
安定した磁場環境の中にいると心身がリラックスしたり、また感覚が研ぎ澄まされることは環境固定実験などで実証されているが、そうした環境が住宅街の中に隠れるようにしてある小さな社の周辺に作り出されていることには意味がありそうだ。また、どのようにして、そうした環境が作り出されているのか、じっくりと検証したくなった。
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