2011年の悲惨を思うと、素直には喜べない年明けですが、去年の様々な出来事の教訓を忘れず、それを生かして新しい年を歩んでいきたいですね。
以前、ここでも触れましたが、311にまつわる様々な光景をテレビや実際の場所で目の当たりにしたとき、ただただ無心で手を合わせていました。
どうして自分は思わず手を合わせたのか、どんな気持ちで手を合わせたのか、後になって、その意味を考えました。
そのとき、自分は確かに祈っていました。その祈りは、神仏にすがって助けを求めるというものではなく、忘れていた自然の猛威と向き合わされたことで、ただ素朴な畏怖の念があるだけでした。
一昨年、聖地巡りのフィールドワークをまとめた『レイラインハンター』を上梓し、その続編に取り組んでいるところでしたが、311を経験した後では、単なる「不思議探訪」だけでは納得てぎす、あらたに、フィールドワークで出会った「祈りの風景」に焦点をあてることにしました。
古来からの祈りの形に、人が自然をどう捉え、自分たちを自然の中でどのように位置づけてきたのか?
それを考え、表現したいと、今、筆を進めております。
現在、このこらむで7章まで進めておりますので、ぜひご一読ください。http://obtweb.typepad.jp/obt/2011/05/pray.html
ゲニウス・ロキ=地霊という言葉があります。個々の土地が持つ独特の雰囲気とそれが醸成する自然や文化、そして人、その全てを含めたものがゲニウス・ロキです。
土地が個性を失い、人が生まれ育った故郷や、この日本という国に愛着を失う、それはゲニウス・ロキの喪失であり、それが災害による悲惨を招いた大きな要因である気がします。
個々の土地で異なる祈りの形は、まさにその土地のゲニウス・ロキと人が寄り添うためのもので、祈りの形と意味を考えることから、逆にゲニウス・ロキが見えてくる。そう思って、「祈りの風景」を進めています。
昨年は、朝日カルチャーセンター湘南で受け持たせていただいている講座や、各地を訪ねての講演で、個々の土地のゲニウス・ロキを蘇らせるのにはどうしたらいいかといった話をさせていただき、また自由なディスカッションで話し合ってきました。
今年はまた新たな気持で各地を訪ね、いろいろなメディアで人と自然との関わり合いについて考察、表現していきたいと思っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします!
2012年元旦
内田一成
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