**黄金伝説の残る「御神島」。ここは近畿の五芒星の中心を貫く垂線の北の端に当たる。また琵琶湖竹生島と夏至・冬至の太陽で結ばれる**
若狭に頻繁に足を運ぶようになってからかれこれ10年近くになる。
最初は2000年から担当するようになった昭文社『ツーリングマップル』の中部北陸版の取材で敦賀を訪ね、気比の松原からその先の敦賀半島の海の美しさに圧倒された。
ちょうどこの頃、レイラインハンティングのサイト公開の準備を始めていて、若狭には不老不死にまつわる伝説が異様に多いことや、近畿の著名な聖地を結ぶと現れる巨大な五芒星の中心を南北に貫く垂線のその頂点に位置するのが若狭湾に浮かぶ御神島であり、若狭の創世神を祀る若狭彦・若狭姫神社であることに興味を持って、いずれ集中的に取材したいと思っていた。
そして2002年、北海道の宗谷岬から鹿児島の佐多岬まで日本を縦断する『ツールドニッポン』というオフロードバイクのラリーに出場したときに、三方五湖を見下ろす梅丈岳の駐車場がチェックポイントになっていて、シビアなレースの束の間、素晴らしい景色に時を忘れた。
だが、この時点までは、今のような若狭との深いつながりができるとは想像もしていなかった。
レースの翌年、まさに梅丈岳から見下ろした三方五湖の一つ、水月湖の畔で『PAMCO 湖上館』という宿を営む田辺一彦さんから連絡をもらった。それまで、田辺さんとは一面識もなく、ただ彼がぼくの運営するアウトドアのサイト「アウトドアベーシックテクニック」を見てメールをくれたのだった。
田辺さんは湖もあり海もあり、またトレッキングにちょうどいい山もあるといったアウトドアの恵まれた環境の中で宿を営みながら、シーカヤックやサイクリング、トレッキングなどのアウトドアアクティビティで自分の宿だけでなく地域一帯を盛り上げていきたいと考えていた。そこでぼくに白羽の矢を立てて呼んでくれたというわけだ。
このコラムでももう何度も書いているけれど、まず自分がある土地について興味を持ち、そこを訪ねたいという気持ちを強くすると、必ずその土地に住む人から呼ばれる。それをぼくは「土地に呼ばれる」と自分で勝手に解釈しているのだが、田辺さんはまさにその典型的な例といえる。
実際に宿を訪ね、田辺さんに周辺を案内しもらうと、繊細で多彩な若狭の自然に感動するとともに、若狭にまつわる不老不死の伝説や神話が、この土地固有の「何か」を象徴していることを痛烈に感じた。
土地が持つ神秘性がこれほど強い土地はなかなか他にない。単に特定の聖地だけでなく、人が暮らしているすぐ傍らの森や海や湖から発散される雰囲気が異世界へ誘うように感じられる。
結局、アウトドアアクティビティのほうは田辺さんが中央大ボート部のキャプテンを務めたほどのスポーツマンで、ぼくがアドバイスするまでもなく、水月湖や若狭湾をフィールドとしたシーカヤックツアーのメニューが大成功し、若狭の幸を自分で収穫して食べる「自捕自食ツアー」や「大人キャンプ」など、新しい試みをどんどん実践して、注目を集めるようになった。
一方、ぼくが惹かれた若狭に秘められた歴史や文化にも田辺さんは興味を持ってくれ、不老不死の伝説を巡るツアーも、アウトドアアクティビティのオフシーズンにレギュラー化した。
今年はちょうど311の10日前、3月1日から2日にかけて若狭の不老不死伝説の史跡を巡り、不老不死伝説にも絡む「お水送り」の儀式に参加した。その後、今年は二ヶ月に一回程度、不老不死伝説を巡るツアーを行うつもりだったが、311のために見送りとなった。
そして、この11月25日から27日にかけて、体勢も整えなおしてツアーを再開することにした。
いつまでも少年少女のままの姿を保っていたという若狭創世神、若狭彦・若狭姫、それを守護する神宮寺には奈良東大寺で行われるお水取りに使う聖水が湧き出す泉がある。黄金伝説の伝わる御神島とそこに連なる常神半島には「神」という名がつく地名がたくさんあり、「竜宮」まで登場する。
秦の始皇帝の命を受け、不老不死の妙薬を求めて東へ旅だった徐福ら3000人の渡来民は、若狭湾の一角である丹後に上陸したと伝えられるが、その痕跡は若狭のお水送りを始点として、鞍馬、奈良東大寺、熊野へと続き、そこには火の祭という共通の儀式が伝わっている。
さらに、人魚の肉を食べて不老不死となったとされる八百比丘尼に縁の場所、空海もしくは空海の配下の者が不老不死の薬の原料とされた「丹」=水銀の鉱脈を求めた痕跡もある。また、夏至と冬至の太陽が取り結ぶ琵琶湖竹生島と空海の痕跡を留める聖地、御神島との関係など、若狭には数えきれない謎が横たわっている。
若狭に通い始めるようになってから8年、通算すればもう20回以上も足を運んだだろうか。何度も同じ場所を訪ね、お水送りの儀式ももう4回参加しているが、飽くことなどなく、ますます若狭という土地の神秘性に惹かれている。
**瓜割の滝。冷たい水が川のように湧き出す。三方石観音の聖観音は正確にこの滝を指し示している。三方石観音の聖水、神宮寺の聖水、そしてこの瓜割の滝の聖水に共通するのは、いずれも朱い岩の間から湧き出すこと。朱は丹を象徴する**
**人魚の肉を食べ、望まずして不老不死となってしまったという八百比丘尼の伝説が残る。ここは、諸国を遍歴して再び若狭に戻った八百比丘尼が入定したと伝えられる洞窟**
**空海が大きな岩に一晩で彫ったとされる聖観音を本尊にする三方石観音では、四肢の怪我や萎えに霊言があるとされる。お参りして治った人たちが寄進した提灯が本堂の天井を埋める**
**毎年3月2日に行われる「お水送り」の儀式。ここから送られた水が奈良東大寺2月堂の「若狭井」まで達し、それを汲み上げて、お水取りの儀式が行われると伝えられる**
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