先週末は『水郷三都のパワースポットを訪ねて --聖地の秘密体感モニターツアー--』のガイド役を務め、香取、鹿島の両神宮を巡ってきた。
これは、茨城県の潮来市と鹿嶋市、千葉県の香取市が合同で作る水郷三都観光推進協議会が主催するツアーで、ぼくは近畿日本ツーリストの地域振興事業部の依頼で、このツアーの企画アドバイスと現地でのレクチャーを含めたガイドを受け持った。
このコラムでも少し前に触れたように、ぼく自身は「パワースポット」という言葉には違和感があるが、今回は広く一般にアピールしたいという主催者の意向もあって、流行りの単語をタイトルに取り入れることになった。もっとも、現地に向かうバスの中で、開口一番、「正直に言うと、この言葉は嫌いだし、人にとって都合のいいパワースポットなんてないと思います」と、いきなり主催者意図を台無しにするような発言をしてしまったのは申しわけなかった(笑)。
寒さがぶり返した19日土曜日の早朝、20名の参加者が東京駅八重洲口のバス駐車場に集合した。
観光バスで旅をするなんて、高校の修学旅行以来だから30数年ぶりとなる。いつも聖地巡りするときは一人きりだし、主要なポイント以外はほとんど行き当たりばったりなので、かなり勝手が違うが、やはりフィールドワークに出かけると思うと気分が高まってくる。
先頭の席に陣取り、用意したレジュメを使ってレイラインの概念を説明しつつ、首都高から東京スカイツリーが見えれば、それが鹿島神宮と富士山を結ぶ冬至の入日のラインに乗っていることなどを解説していく。
昨年の夏から朝日カルチャーセンター湘南で連続講座を持たせてもらっているが、教室で説明するよりも実際に現物を差して説明するのとでは、参加者の眼差しにこもった真剣度が違う。
初日はまず東国三社の一角を成す香取神宮へ。
ここでは、通常、神社が南を向いていること、本殿に祀られる和魂(にぎみたま)と奥宮に祀られる荒御魂(あらみたま)の話などをして、境内に安置された鹿島社がじつは本殿から見て鹿島神宮の方向を指していることや、その線上に奥宮が配置されていることをGPSを使って実証した。
神社の境内でGPSを手にした男の周りに人が群がり、その手元のガジェットを覗き込んで指し示す矢印を見て感心している様子というのは端から見たら異様だが、当事者はそれだけで夢中になって境内探索に没頭してしまう。
鎮守の森として、地域の自然が大切に保存されてきた神社の静謐な雰囲気に浸るだけでももちろんいい。またそこに祀られた神の日本神話上の位置づけに想いを馳せて、様々な神話物語を心に思い浮かべてみるのもいい。でも、さらに、神社を古代の人達が様々な「装置」として設計、配置していたことをその場で実感し、いったい何を意図していたのか、あるいはどうやって満足な観測装置もない時代に驚くほど正確に方位を測り、遠く距たった神社を並べて配置したのか想像してみると、神社という存在そのものが目の前で俄然息づいてくる。
一人でこうした探索をしていると、思わず参拝に来ている人を捕まえて、「あなたが今立っているこの場所は、太古の人たちが設計し、配置した長大な光の通り道なんですよ!」と教えたい衝動に駆られてしまう。「ただ漫然とご利益をお願いするなんて、もったいない。古代の人達がこの場所に込めた想いを想像するほうが、どれだけ夢があると思いますか」と。もちろん、そんなことをしたらだいぶオツムのネジが緩んだ奴と思われるのがオチだからしっかりと自制する。
ところが、今回は、堂々とそんな話をまくしたてる周りで、好奇心いっぱいに輝く目が40以上あるのだから、ぼくにとっては日頃のフラストレーションを解放する至福ともなった(笑)。
そんなこんなで、夜のレクチャーまで予定の1時間を倍もオーバーしてしまった。
翌日は、このツアーのクライマックスともいえる鹿島神宮の探索に時間を費やした。シルバーボランティアの地域ガイドの人たちが待機していてくれたが、ここでは日本でいちばん奇妙な神社ともいえる鹿島神宮の成り立ちや、国譲り神話に基づいたその配置をGPSを使って紹介した。
ふだん社伝に書かれていることをアナウンスしているボランティアの人達も、それとはまったく異なる古代史上の鹿島神宮の位置づけや他の神社との意外な関係を参加者と一緒になって食い入るように聞いてくれた。
詳細な話は、拙著『レイラインハンター』や『レイラインハンティング』サイトに詳しいので、そちらを参照されたい。
そんな調子で、観衆が常に取り巻いている状態で、いつにも増して興奮してしまったが、今回は近畿日本ツーリスト地域振興事業部の大谷氏がグルメスポットや小江戸佐原の雛人形めぐりなども組み入れてくれて、適度な息抜きもできて、ぼくにとっても楽しい旅となった。
そんな水郷の旅の余韻も冷めやらないうちに、次は若狭のお水送りと不老不死伝説を巡るツアーが続く。
個人的にはお水送りの参加は今回で4度目となる。これまで手松明を持って何千人もの人波とともに遠敷川を遡っていったが、今回は宿が仕立ててくれた四人一組で担ぐ中松明……といっていも3mもある大きなものだが……を掲げて行列の先頭を行くことになっている。
若狭に通い始めてちょうど10年。これを契機に、また若狭でもたくさんの人に古代の人達の気持ちと同化する感動を伝えていきたいと思う。
小江戸情緒漂う佐原では、佐原おかみさん会が旧家に伝わる雛人形の展示を案内してくれた
水戸光圀が復興した潮来の長勝寺で住職の話を伺う。光圀は大規模な寺社復興と整備を行ったことで知られるが、鹿島神宮では要石を掘り起こそうとしたり、隠居した西山荘の近くに古代の巨石信仰の名残を留める陰陽山を見つけ、聖地としたり、巨石信仰に傾注していたふしがある。
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