7月の終盤から先週末にかけて、この空前の猛暑の中で表にいる仕事ばかりが続いた。通算9回に及んだ武蔵丘陵森林公園でのフォレストアドベンチャーイベント、都内での高木剪定とそのトレーニング、そしてこの10年恒例になっているツーリングマップル中部北陸の取材。
気狂いじみた暑さはさすがに辛かったが、その暑さを堪えて頑張った分、いずれも感慨深い経験となった。フォレストアドベンチャーでは、工夫を凝らして新しいアクティビティを創造することでチームの繋がりが深まった。高木剪定は、身近な生き物である樹とより深く付き合う新しい楽しみの次元をもたらしてくれた。そして、ツーリングマップルの取材では、長年会いたかった仏と出会えたことで、また新しい旅のテーマが見つかった。
フォレストアドベンチャーと高木剪定の話は少し前に書いた。
ツーリングマップルの取材は、お盆を過ぎて少し涼しくなってからスタートしようと思っていたのだが、お盆を過ぎてだいぶ経っても、一向に涼しくなる気配がない。時間の余裕もないので、仕方なく8月の終盤にスタートした。
もう30年以上もオートバイに乗り、高校時代から夏休みには長期の気ままなツーリングを楽しんできたが、今年の夏はどうにも辛いばかりで、オートバイを走らせることが不快どころか不愉快といってもいいほどだった。昨年末に自分のオートバイを手放してから久しぶりに跨ったが、もう自前のものはいらないと思ってしまう。
早朝に自宅を出て、中央道から東海北陸道に入り、関ICで降りる。岐阜県南部のこのあたりはまた極めつきに気温が高く、メーターパネルの温度計は40℃を突破している。これでは、景色を楽しむ余裕などあるはずもなく、なんとか意識を正常に保って運転に専念するだけで精一杯だ。
ようやく円空が眠る長良川の畔の入定塚に到着して、ヘルメットやらジャケットやらを脱ぎ捨てて、ホッとひと息つく。
以前にも書いたが円空仏に初めて出会ったのは、飛騨高山の隣にある丹生川村の千光寺だった。もう30年近く前のことだ。そのときは、円空の名前ももちろんその生涯のことなども知らず、ただ一刀彫の素朴で力強い仏に魅了された。
そのときからこの仏を彫った円空という人に興味を持ち、その漂泊の人生が、なんだか自分の生き方とだぶって見えて、一層、円空仏が好きになった。
今回は、初めて円空が入定した場所に立ち、図らずも、円空の足跡と同じような土地を訪ね歩いてきたことを思い返すうちに、ここに眠る魂に肉親のような親しみを感じさせられた。
入定塚の近くには関市が運営する円空館がある。ここには、円空の代表作が集められているが、今回いちばん心を打たれたのは稲荷だった。丸太を使いやすい薪にでもするように無造作に断ち割り、その割れた節くれをも造形に取り入れて、限りなく自然物に近い、だけれど…いやだからこそ『自然の意志』と自身を同化して、あたかも自然が生み出したかのように仏を創り上げる円空のもっとも円空らしいともいえる『形』がそこに表出している。
長い間製作年不詳で、天狗を形作ったものと伝えられていたが、背後を赤外線写真で精査したところ円空自身の裏書があり、そこに「稲荷大明神」と記されていたと解説にある。だが、ぼくはこの仏=神像と向き合った瞬間に、狐の神を形作ったものだと直感した。それもいたずら好きな狐らしく、他の円空仏とは異なる茶目っ気のある笑みに、おもわずこちらも笑ってしまった。
狐といえば、昔、祖母からよく聞かされた話があった。
戦後間もなく、茨城県の土木科に技師として在籍していた祖父は、単身で稲荷で有名な笠間市に赴任していた。
ある晩、晩酌の肴にしようと門前の稲荷屋で煮しめた油揚げを買った。それを自転車の荷台にくくりつけて帰り道をのんびり漕いでいると、誰かに呼び止められた。薄暗い黄昏時で、背後を振り返っても誰もいなかった。「おかしいな。確かに誰かが名前を呼んだのだが」と、再び自転車を漕ぎ出そうとすると、自分がちょうど笠間稲荷の鳥居の前に居ることに気づいた。そこで、祖父は軽く稲荷神社の本殿のほうに会釈して帰宅したのだという。そして、さっき買った油揚げの煮しめを荷台からとろうとすると、そこには荷造り用の自転車チューブを割いた紐が、しっかり固定されているだけだっという。
祖父は、そのときの体験を、「あれは笠間のお稲荷さんが掠め取ったに違いない」と、酒が入ると必ず、楽しそうに話したという。
円空の稲荷と対面したとき、何故か、この稲荷様が祖父の油揚げを失敬した稲荷に違いないという気がした。
琵琶湖の北岸、高月町の渡岸寺にある十一面観音は、もう10年以上も前から対面したいと思いながら会えずにいた仏だった。
「観音の町」という観光地図の看板が掲げられた公共駐車場にオートバイを止めて、十一面観音が安置されている向源寺へ向かう。
琵琶湖北岸に位置する高月町は、関や岐阜といった内陸よりはまだましだが、それでも35℃を下らない。木陰に入っても、吹いてくる風はたっぷりと熱と湿気を含んでいて、東南アジアのジャングルに近い田舎町にでもいるようだ。
向源寺は、地元では渡岸寺(どうがんじ)と呼ばれている。本堂に向かって正面左側に、コンクリート作りの堂があって、その中に十一面観音は安置されている。昔は素朴な茅葺きの堂で、国宝の仏像の中でもっとも美しいとされるこの観音が無造作に置かれていたというが、その頃この仏と出会えたらどれほど感激できたかと、想像してしまう。もちろん、今でもその美しさは変わらないのだけれど、やはり全体の佇まいとして、美術品然として陳列されているよりは、土地と自然に馴染んだ形で、そこに「居る」仏と出会うほうがより親しみ深く、またその厳かさもはるかに強く感じられるだろう。
この十一面観音は、周囲をぐるりと回って拝観することができるが、正面よりも左斜め後ろに立って観るほうが、その自然に傾いだ立ち方と腰のまわりの艶然としたふくよかさが際立って美しい。正面からはどことなくエキゾチックな彫りの深い顔立ちをした仏だが、この角度で観ると、限りなく生身の人間、それも艶っぽい女性に見え、ふとマグダラのマリアとも共通するようなメタファが込められているのではないかと想像してしまう。
堂の中には地元のシルバーボランティアらしい男性がいて、拝観者が堂に入ると、かいつまんだ由来や拝観のポイントなどを話してくれる。ぼくが訪ねたときは、パンパンに膨らんだデイパックを背負った初老の男性と、比較的若いカップル、それにぼくの四人だったが、このデイパックの男が、「これは泰澄の作だと伝えられているが、この艶っぽさは僧が彫ったものではないだろう」と聞えよがしに大きな声で、解説の男性に自説を吹聴している。こういう輩がいると、せっかくの仏の佇まいまでも台無しになってしまう。
何か根拠があって話をしているのならまだいいが、単純にその場で見た印象をしつこく何度も何度も語るその雑音に、思わずつまみ出してやりたくなる。
だが、解説の男性も困った笑いを浮かべるだけで受け流していたら飽きてしまったらしく、仏を振り返ることもなしに出ていってしまった。
デイパックの男は、こんな艶っぽい仏を僧侶が彫るはずがないなどと言っていたが、艶っぽい観音仏は、他にいくらでもある。逆に、西洋の影響や修験、そして密教の影響まで混交した中世の仏は、円やかで艶やかな女性性を内在し、それが滲みでているもののほうが多い。
慈悲相を湛えた前面から見れば、均整のとれた直立した観音なのに、斜め背後から観ると、うっとりさせられる曲面を描く、だが、その曲面を辿って頭の十一面まで上がると、そこには悪魔的な笑いを湛えた暴悪大笑面がこちらを見下ろしている。その面は、この観音の女性性のうちに潜む恐ろしいものを象徴しているのか、それとも、観音の曲面に見惚れてしまうこちらの心の中の悪魔を自覚させようというものなのか……。
ただ均整がとれているもの、ただ造形が美しいと感じさせるだけのもの、そうしたものとは違う、複雑なメタファを込められた渡岸寺の十一面観音は、きっと対面したときのこちらの心の有様いかんで、どうにでも変化するものなのだろう。
きっと、そんな自分の心の有様が確かめたくて、また何度も訪ねたくなるだろう。
>ゆめさん
コメントありがとうございます。
祖父は私が生まれる前に他界したので、直接聞いたわけではないのですが、子供時代ずっと一緒にいた祖母がいつも面白おかしく話してくれました。
明治30年生まれの祖母は、神隠しや天狗、河童の話などよくしてくれました。
戦前くらいまでは、自然の中に宿る霊性を当たり前のものとして、親しんでいたんですよね…円空はことのほか、それに敏感だったんでしょうね。
投稿情報: uchida | 2010/09/24 12:27
文章が楽しくて引き込まれてしまいました。
お祖父様がお酒を楽しみながら笠間稲荷さんでの事件を語っていらっしゃる光景が目に浮かびます。
私も、円空さんは今もなお、目に見える山、川、緑の自然総てに神が宿ると、我々に伝えておられると思います。
投稿情報: ゆめ | 2010/09/24 10:01
調べてみると、円空が彫った稲荷は、日光にも一体あることがわかった。
投稿情報: uchida | 2010/09/09 07:59