この一週間あまり、ほとんどの時間を樹にへばりついて過ごしていた。
先週の日曜日15日は、日頃、ツリーイングのゲレンデにしている埼玉県桶川市の城山公園で高所剪定の特訓を受け、中一日を挟んで17日は再び城山公園でスラックラインのデモンストレーターであるGIBBOB所属の吾妻吉信氏、上田寛之氏とジョイントして樹上に張ったスラックラインでのトリックの撮影など。18日から三日間は、吉祥寺にある某大学構内の樹木を早朝から夕方まで高所剪定した。そして、昨日は7月から定期的に開催しているTMCAの武蔵丘陵森林公園でのフォレストアドベンチャーのサポート。
ここまでの8日間のうち6日間はフル稼働で、両腕と顔だけ真っ黒に日焼けして、すっかり「土方焼け」が板についた。ムクの木の剪定では、繁った枝葉を押しのけるようにして樹上を移動しているうちに、木地モノの仕上げ磨きにも用いられたザラザラの木の葉で、むき出しの腕を擦られて擦り傷だらけになった。また、爪の間に刺をさしたり、蚊や蟻にいたるところを刺されたり、あちこち打撲したりと散々な有様で、夜にはロープを握り続けていた手が浮腫んで、箸も持ち辛いほど。
体はそんな状態だが、気分の方は爽快だ。
不安定な姿勢で鋸を引いたり、ロープをさばいたり、子供たちを引っ張りあげたりしていると、普段はめったに使わない筋肉を酷使する。また、自分の動きやすいポジションを決めて確保するには、複雑なパズルを解くように頭を使う。一日中、そんなことをやっていると、つまらない雑念を忘れて無心になってくる。そして一日が終わると、体の疲労はピークだが、気分は生まれ変わったようにすっきりする。
最近はまともな登山をほとんどしていないが、こうして体と頭を酷使すると、昔、夢中になって山に登っていた頃のことを思い出す。
登山計画を立て、必要な装備を揃え、山行中はキャンプ中に気象通報を聞き取りながら天気図を描き、行動計画を状況に合わせて変更する。観天望気で雲の移ろいや風に注意して、必要ならビバーグや撤退をする。単に体を動かす「スポーツ」の要素だけではなく、大自然に向き合うためにあらゆる知識や勘を動員して、必死に考えるのが楽しかった。
ときには、判断を誤って荒天に巻き込まれて死ぬような思いをしたり、ルートを見失って遭難しかかったこともあったが、そんな状況もなんとか切り抜ければ、貴重な体験になった。
リスクを冒して自然と向き合うという意味で、ツリーイングは登山と共通する部分が多い。とくに高所剪定となると、選定する枝が不安定な場所にあったり、自分の命を託すロープを簡単に切断してしまう刃物を扱ったり、ルートの取り方で作業の効率が変わり、それを自分の判断でこなしていかなければならず、ソロ登山によく似ている。昔のようになかなか長期の山行などができない環境にあって、同じような感覚を味わうことができるのが、ぼくにとってのツリーイングのいちばんの魅力なのかもしれない。
自然を体感するという意味では、まさにその場の自然を象徴する樹木に触れ、これに身を託すのはこれ以上に深くて繊細な体験も滅多に無い。
大学構内の外周に植えられたムクの樹は良く手入れされていて、枯れ枝も少なく、本来この樹が持つ粘り強さのおかげで、かなり細い枝の上に立っていても安心感がある。一方、同じ構内でも密生した混生林では、影になった樹は弱々しく、樹冠に近いような場所で作業していると、風に煽られたときに嫌な振動が根元から伝わってきて、一瞬も気が抜けない。
樹冠の領土争いで敗れた枝は、上の枝に太陽光を遮られて容赦なく朽ちていく。そうした枝には細かい穴が表面に無数に空き、不用意に足を掛けると腕ぐらいの太さのものでも簡単に折れてしまう。そして、折れ口からは無数の蟻が這い出してきて、巣を奪われた復讐でもするかのように群がってくる。蟻にはかわいそうだが、そうした枝は幹の袖の部分から切断する。
樹種による性質の違い、そして日差しや土壌による個性の違い、そうしたことがリアルに感じられる。
アクティビティとしてのツリーイング、とくにお客さん相手のイベントなどでは絶対に冒険はしない。間違いなく安全な樹、そして安全な枝を選んでロープを掛ける。ところが、高所剪定では、効率と安全性がトレードオフとなる。
なるべく高い枝にロープを掛けたほうが作業効率はいいが、末端になればなるほど枝は細くなり、安全性は落ちる。また、イベントでは絶対に使わない弱った樹も、元気を取り戻させるために敢えて登らなければならない。リスクを計算して、なんとかセルフビレイして登るところも登山と共通している。
高所剪定では、まだまだ見習いレベルのぼくは、なかなか安全な枝の見極めがつかなかったり、リムウォークと呼ばれる枝先へ歩いていく動作もぎこちなくて、他のメンバーより作業効率が悪いが、隣の樹に取り付いているメンバーの動きを観察して、自分も真似をしているうちにだんだんコツが掴めてくる。
剪定作業が済んで、「50にもなって、こうして新しい技術を体で学ぶようになるなんて思ってもみなかったよ」とメンバーに言うと、「これを一から覚えようとしたら、もう無理ですよ。やっぱりもともとクライミングなどの素養と体力があるからできることだし、きちんとリスクをわかって自分の動きを組み立てられるのは、山の経験があるからでしょう」と、これまた、いい歳をして誉められてしまった。
集中的な高所剪定作業を終えて、昨日、ツリーイングアクティビティのセッティングやお客さんのサポートをすると、以前よりも格段に技術的にも気持ちにも余裕ができていることに気づいた。
最大限の体力と知力を使い、さらに無心となって樹と対話できる高所剪定は、体が動く限り続けていきたいと思う。
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